発祥の地bannar
鹿骨発祥の地
 [ししぼねはっしょうのち] 


場所
東京都江戸川区鹿骨3丁目
コメント
都営地下鉄新宿線・篠崎駅から 北西に1km。
鹿骨東小学校の南に「鹿見塚神社」があり, その境内に「鹿骨発祥の地・鹿見塚」という 石碑が建っている。また 神社の鳥居横には 江戸川区教育委員会の建てた 説明板が ある。

「鹿骨」は この辺りの地名で「ししぼね」と読む。

下記の説明板に書かれた文章は 誤解を招きかねない書き方になっている。
奈良時代(8世紀), 藤原氏によって奈良の春日大社が創建されるに際して, 常陸の鹿島神宮から 分霊されたが, その際に 多くの神鹿を引き連れて およそ 1年かけて奈良まで行ったと言い伝えられており, その途中 鹿が死んだためこの地に葬った。これが「鹿骨」の地名の由来。
戦国時代(16世紀)になって, 石井長勝や牧野一族などが この地の開拓に入って住みつき, 発展の基礎を築いたとされる。
この二つのことを一緒に書いたために 話が混乱している。

撮影日
2007年1月
碑文[1]
鹿骨発祥の地
  鹿見塚
   昭和四十二年八月 氏子中
碑文[2]
鹿見塚神社
  
 この鹿見塚のある神社は昔から鹿骨発祥 の地といわれている。伝説によるとこの地は 昔戦国時代の頃, 興亡のはげしい世の中を離 れ, 安住の地を求めて石井長勝・牧野一族・ 田島一族・中代一族および別系の石井一族が 開拓し住みついた所といわれる。ある日のこ と日頃尊崇している鹿島大神が,常陸の国か ら大和の奈良に向かう途中,大神の杖となっ ていた神鹿が急病で倒れたので,塚を築き ねんごろに葬った所だと伝えられている。
 昭和四十二年八月氏子中によって碑が建て られた。台座はコンクリート三段組で高さ九 八・碑石は高さ八一・幅五二・厚さが一三( 単位センチメートル)あり表面に「鹿骨発祥 の地 鹿見塚」と刻まれている。鹿見塚神社 は昭和四十八年に再建築されたものである。
    昭和五十二年十一月
          江戸川区教育委員会

 
鹿見塚碑 説明板 鹿見塚神社
鹿見塚 碑
説明板
鹿見塚神社