発祥の地bannar
「栃木県」県名発祥の地
 [とちぎけん・けんめいはっしょうのち]


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場所
栃木県栃木市旭町
コメント
JR両毛線・栃木駅から北東に1km。
栃木市の中心部,宇都宮地方裁判所の北に 第二公園と並んで“神明宮”がある。
西の県道11号からの参道を入ると,正面の拝殿の手前左手に「歴史にのこる文化財」と書かれた説明板があり, ここに『「栃木県」県名発祥の地』と書かれている。

1871(明治4)年の廃藩置県によって,旧制度の“藩”はすべて廃止され,代わって“県”が誕生した。 現在の栃木県エリアは,宇都宮県・大田原県・黒羽県・烏山県・茂木県・壬生県・吹上県・佐野県・足利県・日光県 と, 旧藩名をほとんどそのまま県名にしただけの名称となったが, 半年後には “栃木県”と“宇都宮県”の2県に統合された。
更に 1873(明治6)年になって 両県は統合されて 現在の“栃木県”となり,県庁は栃木町(現栃木市)に置かれた。 県庁が宇都宮に置かれるようになったのは 1884(明治17)年になってからであった。

「栃木」という県名は 当時県庁が置かれた「栃木町」によるものだが, 「栃木」という地名の由来は諸説あって定かではない。
栃木県のホームページには 4つの説が書かれている。
  十千木(とおちぎ)説
      栃木町内の神明宮社殿の屋根にある2組の千木(ちぎ)と8本の鰹木(かつおぎ)が, 遠くから見ると10本に見えたことから,神社の辺りを「十千木」と呼ぶようになった。
  トチノキ説
トチノキがたくさん生えており、それが転訛して「トチギ」なった。
  地形説
栃木町内を流れる巴波川は,かつてたびたび氾濫を起こしたことから, 千切れた地形(浸食された地形)の動詞「チギる」に接頭語の「ト」が付いた。
  遠津木(とおつき)説
「古事記」に登場する豊城入彦命が,木(毛)の国(現在の栃木県)と木(紀)の国(現在の和歌山県)を区別するため, 遠くはなれた木の国という意味で「遠津木(とおつき)」と命名したものが「トチギ」に転訛した

かつては“トチノキ説”が広く伝えられていたようだが,最近は“十千木説”の方が有力になってきているらしい。 それは 別に“十千木説”に新しい歴史的発見があったというわけではなく, 「トチノキがたくさんあったから」というより“十千木説”の方にロマンを感じるからなのだろうか。
右図は現在の栃木市の市章で,千木と鰹木を組みあわせたものとなっている。 “十千木説”の先端を走っている。

“千木”“鰹木”というのは,下の神明宮本殿の写真に見るような,神社の屋根に設けられた部材をいう。
千木は屋根の両端で交叉させた木であり、鰹木は屋根の上に棟に直角に(水平に)なるように 何本かを平行して並べた木である。 どちらも元々は上流階級の邸宅にも用いられていたが、今日では神社にのみ用いられ、神社建築の象徴のようになっている。

撮影日
2009年12月  (写真提供 H.O.さん)
碑文
   歴史にのこる文化財
愛国の人道を教化するのを目的として,
明治五年に大教院を東京に設け 明治六年には中教院,小教院を各都道府県に置くことになり, 栃木県には 大田原 鹿沼 宇都宮 足利に 小教院を設け,栃木に中教院を置きました。
しかし明治八年に神仏共同布教が廃止となり, 神道の統一を図るために, 事務局を各地方に設けました。
その名残の建物を拝殿として現在の場所に 移築したものです。
全国的に存在しているのは珍しい建物です。
また,当神社は,「栃木県」県名発祥の地として 市民に親しまれています。

 
神明宮 拝殿 説明板 神明宮 拝殿
神明宮 拝殿 説明板
(「栃木県」県名発祥の地)
神明宮 拝殿
神明宮 拝殿 説明板
神明宮 本殿
(屋根上の千木と鰹木が見える)

移転先 http://840.gnpp.jp/tochigi-kenmei/