発祥の地bannar
山陰鉄道発祥之地 米子
 [さんいんてつどうはっしょうのち よなご]


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場所
鳥取県米子市弥生町
コメント
JR山陰線の米子駅。駅前広場を背にして 蒸気機関車の動輪と客車の車輪のモニュメントと, その脇に赤茶色の「山陰鉄道発祥之地」碑が建っている。
 追加 (2011/4)
また,米子駅前広場の右手に“だんだん広場”があり,ここに 高架の上を走る列車をかたどったモニュメントなどがある。
山陰地方で最初の鉄道は 境線の 境〜御来屋間の 37km だった(1902=明治35年)。新橋〜横浜間に日本で最初に鉄道が開通してから 30年後のことである。
その後 路線の一部は 山陰本線に統合され, 米子駅〜境駅(現・境港駅) 間が現在も“境線”として残っている。

「山陰鉄道発祥之地」碑の横には 山陰鉄道の歴史が書かれた 次の説明板が建っている。

   山陰鉄道の歩み

明35 (1902) 11. 1  境港〜米子〜御来屋間 開業
明45 (1912) 3. 1  山陰線京都〜出雲市間  〃
大12 (1923) 4. 1  山口線石見益田〜小郷間 〃
大12 (1923) 12.26  山陰線京都〜石見益田間 〃
昭5 (1930) 12. 1  若桜線郡家〜津山間   〃
昭7 (1932) 7. 1  因美線鳥取〜津山間   〃
昭8 (1933) 2.24  山陰線京都〜幡生間   〃
昭12 (1937) 10.20  三江線石見江津〜浜原間 〃
昭12 (1937) 12.12  木次線宍道〜備後落合間 〃

 鉄道開業当時からの石炭を燃料とした蒸気機関車は大正時代に画期的な発展をとげ ました。更に昭和に入って全盛を極めたが, 逐次動力近代化が進められ, ガソリン ・軽油を燃料としてディーゼル機関車, 気動車へと変遷し, 昭和57年には出雲市 〜岡山間は電車運転となりました。

なお, 「山陰鉄道発祥の地」碑は この米子駅前の他に もう一ヶ所, 旧・境駅の駅舎跡 (現・境港駅の南700m, 馬場崎駅から約200m) にもある。

撮影日
2006年11月 (写真提供 T.H.さん)
2011年3月  (写真提供 T.O.さん)
碑文
山陰鉄道発祥之地 米子
 「陰陽線なる境鉄道の開通式を伯耆米子町に挙行し,試運転を行へり。来会者一千余名(中略)同地は一帯に国旗, 球灯をかかげ, 歓喜の様, 非常なり(後略)」明治35年(1902)11月1日, 境 − 米子 − 御来屋間35kmの開通式の模様を当時の新聞はこのように伝えている。
 山陰で鉄道が敷かれたのは境線が最も古く, やがて山陰本線, 伯耆線が開通した。鉄道の開通によってそれまで盛んであった米子の海運は衰えたが, 経済・社会の近代化は大きく促進された。
 米子市は昭和2年(1927)4月の市制施行後も交通の要地という地の利を得て山陰の中核産業都市として発展し, 今日に至っている。
 山陰鉄道建設, 発展に尽くされた先人の功績をたたえると共に, 21世紀におけるさらなる発展を願って, ここに記念碑を建立する
                平成9年7月吉日

 
山陰鉄道発祥之地・米子碑
 山陰鉄道発祥之地・米子 碑

山陰鉄道発祥之地・米子 碑
 動輪のモニュメント と
  山陰鉄道発祥之地碑

米子駅前 だんだん広場
 米子駅前 だんだん広場
   (2011/4)追加

モニュメント 高架上の列車
 モニュメント
   高架上の列車
   (2011/4)追加

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