発祥の地bannar
四国鉄道発祥の地
 [しこくてつどうはっしょうのち]


発祥の地コレクションは、新サイト https://840.gnpp.jp に移行作業中です。
個別の移転先ページのリンクは、このページの下部をご覧ください。

場所
香川県仲多度郡多度津町栄町3丁目
コメント
JR予讃線・土讃線の分岐駅である 多度津駅の前に, 蒸気機関車の動輪モニュメントと, 「四国鉄道発祥之地」碑が建っている。

四国の鉄道は, 1888(明治21)年に 伊予鉄道が 松山〜三津間の営業を開始したのが最初であるが, これは 狭軌の軽便鉄道であった。
その半年後の 1889(明治22)年 (=東海道線が 新橋〜神戸間で全通した年) に, 讃岐鉄道 (後に 国鉄に吸収) が 丸亀〜多度津〜琴平間 15.5km を開通させた。
旧国鉄は, 1969(昭和44)年に 旧・多度津駅跡 (この地より西へ 1km) に「四国鉄道発祥の地」碑を建てたが,開業100周年に当る 1989(平成元)年に ここ多度津駅前に移転した。

コメント
(2014/11 追加)
讃岐鉄道の終点であった JR琴平駅にも「四国鉄道発祥の地」のモニュメントがある。多度津駅前と同様の蒸気機関車の動輪で,次のような碑文が添えられている。

  四国鉄道発祥之地 
シゴハチの動輪
 明治22年5月23日讃岐鉄道会社が琴平〜丸亀の間営業をはじめたのが四国鉄道のはじまりです。 それからあ80余年蒸気機関車は四国の山野をかけめぐりましたが去る昭和45年懐かしい汽笛をン越しながら四国から姿を消しました。
 茲に展示してある動輪はシゴハチという愛称で親しまれたC58蒸気機関車の動輪です。
       昭和47年11月 琴平町長・琴平駅長

また,旧多度津駅跡(現・多度津町民会館前=JR四国の多度津工場そば=現在の多度津駅の西約1q)には「四国鉄道発祥之地」という石標が建っている。ここはかつて発祥の地碑があったが,1969年に多度津駅前に移転してしまった。その後1990年に現在の石碑を再建したもので,「ぜにや」と書かれているのは地元の商店が建立したものであろうか。

四國鐵道発祥之地
  明治二十二年五月二十三日 多度津を起点に
  丸亀〜琴平間に鐵道が開業された
      町制施行百周年記念建之
           当所ぜにや
撮影日
2004年11月 (写真提供 T.H.さん)
2014年7月  (写真提供 T.H.さん)
碑文
四国鉄道発祥の地

 明治22年5月23日讃岐鉄道株式会社が多度津を起点に丸亀〜金刀比羅間(15.5キロメートル)で 営業を始めたのが当社の鉄道の始まりです。
 そのころの多度津駅は, この地点より西へ約1キロメートル(仲多度郡多度津町大通り, JR多度津工場の西側)の所にありました。
 その後, 大正2年12月には, 多度津駅を予讃線と土讃線の分岐駅として現在の位置に 新築移転しました。
 当時の多度津は, 讃岐随一の交通文化の中心地として栄え, 大正2年には, 文豪志賀直哉の 小説「暗夜行路」の主人公謙作も, 尾道から船で多度津に上陸, ここから汽車に乗って 金毘羅参りをしています。
 明治22年の開通式の祝辞で, 財田村出身の県会議員, 大久保ェ之丞が 「塩飽諸島ヲ橋台トシテ架橋連絡セシメバ,常ニ風波ノ憂イナク,南来北行東奔西走瞬時ヲ費ヤサズ, ソレ国利民福コレヨリ大ナルハナシ。」と挨拶し, 瀬戸大橋架橋を提唱しました。 以来四国島民の夢であった瀬戸大橋は, 約1世紀を経た昭和63年4月10日に開通しました。
 ここに展示してある車輪は, 昭和10年から42年ごろまで, 四国の山野をかけめぐった, おなじみの8620形蒸気機関車の動輪です。鉄道開業80周年に際して, 発祥の地(旧多度津駅跡)に 建立していたものを, 100周年を記念してこの地に移転し, 永久保存をはかります。
    平成元年5月25日
                四国旅客鉄道株式会社


 
四国鉄道発祥之地碑
四国鉄道発祥之地 碑
(動輪の前)
動輪のモニュメント
 動輪のモニュメント
(後は多度津駅)
動輪のモニュメント
 動輪のモニュメント
(琴平駅前)
 (2014/7)
四国鉄道発祥の地碑.旧多度津駅跡
 四国鉄道発祥の地碑
旧多度津駅跡
 (2014/7)





移転先 http://840.gnpp.jp/shikokutetsudo/http://840.gnpp.jp/shikokutetsudo-kyutadotsu/http://840.gnpp.jp/shikokutetsudo-kotohira/