発祥の地bannar
木曽「三浦氏」発祥の地
 [きそみうらしはっしょうのち] 


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場所
長野県木曽郡王滝村滝越
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JR中央本線・上松駅から西に, 直線距離で約13km。
県道256号線(御岳大滝黒沢線)で 王滝川に沿って西に入ると, 大滝 王滝トンネルの先で滝越の集落に入る。 ここから 南の 白巣峠に向かう道の脇に“水交園”という そば等を食べさせる施設があり, その庭に『木曽「三浦氏」発祥の地』と書かれた立札が建っている。

王滝村は 御嶽山の南に位置し, 岐阜県に隣接する, 人口1,000人の過疎の村。
王滝村の観光マップには, 「滝越地区は平家の落人の里」と書かれている。

三浦氏は, 平安時代後期の“前九年・後三年の役”で 武功を挙げ, 相模の国・三浦の領地を与えられ, 三浦氏の嫡流は 代々“三浦介”を称していた。
1180(治承4)年に 源頼朝の挙兵に協力し活躍, 鎌倉幕府の有力御家人として重きをなしたが, やがて 執権北条氏との対立が激化して 勢力が弱まり, 1516(永正13)年に 和田の合戦で北条早雲に倒され 滅亡した。

その 三浦氏がどうして木曽に存続したのか。
はっきりした資料はないが, 木曽・三浦氏については 次のような伝承があるという。
( 「鎌倉恋便り」(Designer's note) による)

三浦氏は木曽・御嶽山の麓, 滝越の奥地で生き残っていた。
一説によると, 木曽義仲の妾・巴御前が 義仲の死後, 和田義盛(三浦氏一族で 鎌倉幕府の初代侍所別当)と 夫婦になり, 朝比奈義秀を生んだ。
義秀は 和田合戦で敗れた後 木曽に逃げ, ここで 三浦家を引き継いだ。
義秀は「三浦太夫」と呼ばれ, この地も「三浦」と呼ばれていた。
今, 木曽の「三浦」の地は 三浦ダムに沈み, この伝承は歴史のかなたに埋もれてしまった。
撮影日
2008年5月 (写真提供 T.H.さん)
碑文
  滝越 (長野県木曽郡王滝村)
ここは武将・三浦義明のひ孫
  「三浦太夫」こと
“三浦介四郎家村”の隠里で
木曽「三浦氏」発祥の地

      三浦介(みうらのすけ)・・・とは
        鎌倉・三浦氏の統領家を継ぐ者に
        与えられる三浦一族の「敬称」

木曽踊発祥之地碑
木曽踊発祥之地 碑


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