発祥の地bannar
奥平家発祥之地
 [おくだいらけはっしょうのち]


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場所
群馬県高崎市吉井町下奥平
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上信電鉄の西吉井駅から北に2.5km。
下奥平の岩平小学校付近から 北の上奥平方面に進み,奥平神社の100m程手前の細い道をを北東に入る。 斜面を上って最も奥まった所に墓地があり,奥平一族の墓の中央に 大きな発祥碑が建っている。

奥平氏は 戦国時代に三河の長篠城主として活躍した氏族だが, そのルーツはここ上野国甘楽郡奥平郷で,この地が奥平家発祥の地とされる。

鎌倉時代の西暦1200年頃,赤松氏が甘楽郡司となり 奥平氏を名乗った。 初代は奥平氏行。その後代々 吉行(2代)−継定−高定−満定−定政−定家−貞俊(8代) と続き, 貞俊の代に 奥平から三河国設楽郡作手郷へ移住,駿河の今川氏に仕えた。
今川氏滅亡後 いったんは武田信玄に臣従したが,信玄の没後には徳川家康に仕えた。 長篠の戦いの功績により重用されて 長篠城主となり,家康の娘・亀姫を妻に迎えた。
家康の関東入府に伴って 奥平も再び甘楽郡に戻り,富岡城主となり 後に宇都宮城主となった。


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発祥地のある場所(右図 黄印)から 300mほど南の 申田(さるた)川の南に「奥平城跡」(右図 赤印) がある。 奥平城は 奥平氏が 7代・貞俊までのおよそ250年間 奥平に在城した時の城で, 三河に移転後 間もなく廃墟となった。

城跡の入口には「奥平城跡」と書かれた 吉井町教育委員会が建てた標識が建っているが, 実際に城跡に入ってみると,たぶんここだろうと思われる場所は 鬱蒼たる竹林になっていて, 荒れ放題の 大変な場所であった。
あえて竹林に分け入ってみたが,方向がわからなくなって 遭難するのではないかという恐怖に襲われ, ホウホウの体で逃げてきた。
想像するに ここに入り込む人は誰もいないため,竹がはびこり 人を寄せつけないような 竹林になったのだろう。

撮影日
2008年10月
碑文
奥平家発祥之地
  従二位勲三等伯爵奥平昌恭書

奥平公ハ文治年間児玉赤松氏ヨリ出タル氏行公甘楽郡司 トナリテ奥平城ヲ築キ居城トナシタルヨリ爾来第八世貞俊 公天授年間三河国作手郷ニ移ル迄ノ間吉行公継定公高定公 満定公定政公定家公七世ノ■■及一族ノ墓所ハ■■当初 ヨリ是ニ於テ地下ニ眠レル英霊ヲ供養センガタメ下奥平中奥 平上奥平ノ三区全村一国トナリテ本碑ヲ建設スルニ当リソ ノ由緒ノ存スル所以ヲ誌シ冥福ヲ祈ルモノ也
      昭和十六年十月十日
          右宗■薫石橋■■書
          奥平史蹟保存会

 
奥平家発祥之地碑 奥平家発祥之地碑
奥平家発祥之地 碑

奥平城跡 標識
奥平城跡 標識

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