発祥の地bannar
白幡高翔源家発祥
 [しらはたこうしょうげんけはっしょう]


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場所
愛知県名古屋市熱田区白鳥2丁目
コメント
名古屋市営地下鉄・神宮西駅の南150m。 熱田神宮の 道路を挟んで西側に 誓願寺という浄土宗の尼寺がある。
この寺の南側に 井戸跡と並んで 発祥碑が建っている。 碑の左手には白幡も上がっている。

源頼朝は 1147(久安3)年に 源義朝の三男として ここ誓願寺で生まれたといわれる。 母・由良御前は 熱田大宮司の藤原季範の娘で, 義朝の正室として頼朝を身ごもり, 里帰りして頼朝を出産した。
碑の隣にある井戸跡は 「頼朝産湯の井戸」と言われる。

誓願寺の駐車場入口には 道路に面して, 「右大将頼朝公誕生舊地」いう石碑と 教育委員会の建てた「源頼朝出生地」の案内板がある。

   源頼朝出生地

 この地は平安時代末期、熱田大 宮司藤原氏の別邸があったところ で、藤原季範の娘由良御前は、源 義朝の正室となり、身ごもって久 安三年(1147)熱田の実家に帰り、 この別邸で頼朝を生んだといわれ る。
 享禄二年(1529)別邸跡に、妙 光尼日秀、世にいう善光上人によ り誓願寺が建てられた。妙光山と 号し、西山浄土宗の寺で、本尊は 木造阿弥陀如来坐像である。
      名古屋市教育委員会


頼朝は 後に, 平治の乱に初陣し 平氏に捕らえられ処刑されるところであったが, 祖父季範の伯母であった池禅尼に助けられて伊豆の蛭ヶ小島に流された。 その後 北条氏の助力を得て源氏を再興,鎌倉幕府を開いた。

源平の合戦において,平家は赤旗,源氏は白旗が旗印であった。 平家一門が滅んだ後, 源頼朝は 白旗を源氏嫡流の旗と定め, 余人の使用を許さなくなった。 (「白幡」は「白旗」と同義)

撮影日
2006年12月 (写真提供 T.K.さん)
碑文
白幡高翔源家発祥   (注:「◆」は写真から読み取れなかった文字)
  従三位  徳川義禮

 尾張愛知郡熱田 神宮業雲實劔在焉其霊気之所蒸磅◆◆積結
 為偉人近古英雄豊木藤肥州皆此郡自出而先是征夷大将軍源
 公頼朝亦實生千此鳥公之母大宮司季範女也久安三年四月八日
 生公干此事在七百五十余年前遺跡湮滅僅存小池名誕生水過者
 或不識焉町長小監君幹憾之與郷父老謀募賞四方命篤鋳鉄造白
 旗於其旁又樹石識之請徳川公題其額而嘱文於余◆◆◆公営◆
 公像撫其背曰徒手得天下唯子與吾◆公視古今豪◆◆當◆◆而
 獨有取於公葢當治承養和之際平族肆◆海◆屏息而公以◆◆流
 離之餘◆◆一呼八州響應白幡◆指莫不風靡遂能討平◆◆以◆
 蒼生の塗済宜乎◆公之取以自比也嗚呼二公生乳世而◆◆厄◆
 ◆建不世之功如此況今◆聖◆在上庶政一新登庸人材洞開言路
 士之展力乎國家大有便於往昔者焉而碌碌不能有為獨不◆干心
 耶郷人拝 神宮而過公遺跡見白旗之◆空其必有◆感奮興起實
 剣之霊将由此而益顕矣是葢町長與父老之志也夫
  明治三十六年五月       尾張  服部 拱撰
                     大島 徳書
                       星野苔石鋳

白幡高翔源家発祥碑 右大将頼朝公誕生舊地碑
白幡高翔源家発祥 碑
右大将頼朝公誕生舊地 碑


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