発祥の地bannar
海野氏発祥之郷
 [うんのしはっしょうのさと] 


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場所
長野県東御市本海野
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しなの鉄道の大屋駅から田中駅の間に“海野宿”と呼ばれる 旧宿場町がある。 海野宿の東端にある白鳥神社の前に「海野氏発祥之郷」と書かれた石碑と 「海野氏の事跡」という石碑が並んで建っている。

海野宿は「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されており, 宿場時代の 建物が美しい街並みを見せている。北国街道に沿った宿場の長さは 約6町(650m)。 多くが旅籠屋だった建物で「出梁造り」や「海野格子」と呼ばれる2階の出格子が よく残っている。
また 明治時代以後は養蚕業で栄え, 蚕室などに用いられた建物は 宿場の風格を受け継ぎ, 江戸期のものと調和した町並みを作っている。
一部の建物には「卯建(うだつ)」も残っており, 屋根の上に乗る小屋根(気抜き)とともに 繁栄した街の様子をしのばせる。

撮影日
2005年5月  (写真提供 H.O.さん)
碑文
海野氏発祥之郷
    東部町長  保科俶教書

    海野氏の事跡
 海野氏の出自については諸説があるが, ここ東部町を 中心として往古の海野郷を根拠とした豪族であり, 新張  望月等の牧の管理者であった禰津 望月の両氏と共に 東信濃にその基盤を築いた
 平安中期 海野 禰津 望月の三氏は 国司 牧官等 として下った中央の名門滋野氏と関係を結び やがてこ れを祖と称するようになり 滋野三家と称され 海野氏 は本宗として その中心的存在であった
 平安末期 中央での政変「保元の乱」には 源義朝の 下で活躍し 治承5年木曽義仲の白鳥河原挙兵に際して はその中心的となって奮闘した また天下の実権が鎌倉 にうつると 源頼朝や北条氏に仕え重用された 中央に も聞えた弓馬の名家であったため 主家が亡びても代っ た権力者にその力を評価されて 平安末期 鎌倉期の波 瀾の時代を乗り切り安泰を保った
 中世 元弘の乱以後の騒乱の中では 一族と共に北条 氏の再興をはかったり 他の国人と共に守護に反抗した り その基盤を守るために懸命の活躍をしたが 足利幕 府が確立される中でその努力は報われず 苦難の道を歩 む事になった
 戦国時代 信濃国内でも守護小笠原氏の勢力が弱体化 し 諸豪族間の争いが次第にはげしくなってきた 天文10年 信濃侵略を企図した甲斐の武田氏は 村上  諏訪両氏と連合して海野氏を攻撃した 「海野平の合 戦」と称せられるこの合戦は 海野氏の死命を制するこ ととなった 一族の禰津 矢沢氏は降伏 当主棟綱は上 野に敗走 嫡子幸義は戦死し 信州屈指の名族海野氏の 正系はここに滅亡した なお 一族の真田幸隆も上野に 敗走したが 後武田氏に仕えその翼下として信濃攻略に 活躍し 名門真田氏発展の基礎を築いた
    平成14年11月3日
          海野史研究会建之


 
海野氏発祥之郷碑
 海野氏発祥之郷 碑
海野宿
 海野宿
 「うだつ」のある建物群

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