発祥の地bannar
市川團十郎発祥之地
 [いちかわだんじゅうろうはっしょうのち] 


場所
山梨県市川三郷町
コメント
JR身延線・甲斐上野駅から南に300m。歌舞伎文化公園内の「文化資料館」庭に 黒御影石に彫り込まれた 立派な発祥碑が建っている。

ここは 以前「三珠町」だったが, 2005年秋に 旧 市川大門町・六郷町 と合併して 「市川三郷町」となった。

「市川団十郎」は 人気・実力ともに江戸歌舞伎を代表する役者の名家で, 『荒事』を得意芸とする。屋号は「成田屋」。 代々世襲で「団十郎」の名跡を継いでおり 現在は12代目になる。
「市川団十郎発祥の地」というと 市川団十郎 という個人の発祥(=生誕の地)のように 思われやすいが, ここでは「市川団十郎家」の発祥 ととらえるべきであろう。

この発祥碑の設立のいきさつなどは, 歌舞伎文化公園に設置された説明板に 以下のように 記されている。

    歌舞伎文化公園の由来

 歌舞伎文化公園は江戸歌舞伎の盟主, 初代市川團十郎の曾祖父に当たる堀越十郎 が甲斐武田氏の武将,一条信龍に仕えて いた.という史実に基づいて建設されま した。
 十代市川海老蔵丈が「十代・十一代團十郎 は市川家(本姓・堀越家)祖先の地を顕 彰したい,と願っていたが果たせなかっ た。私の十二代團十郎襲名を機会に実現 したい」と山梨県・三珠町・山梨日日新 聞社・山梨放送に要請しました。
これを受けて市川團十郎顕彰会が碑を建 立したものです。
 碑はアフリカ御影石を使い高さ二メー トル,幅九十センチ,奥行き八十センチ。 上部に市川家の紋,甲州ゆかりの三桝を デザインし,題字は歌舞伎文字ともいわ れる勘亭流です。
碑の右側面には鳥居清倍筆による初代團 十郎の役者絵「竹抜き五郎」が浮き彫り されています。

          市川團十郎顕彰会
          市川三郷町

撮影日
2006年6月 (写真提供 T.K.さん)
碑文(1)
市川團十郎発祥之地

 抑々 我が市川家発祥の地は何処なるや 探し求めて長きに亘る 時至 り昭和七年 市川三升事十代團十郎来甲の砌 石原家に三百有余年秘蔵せ し古文書並に系図一巻閲覧 書中に曰く 堀越十郎家宣 元武田家に仕え 後下総国幡谷に移る 其の孫堀越重蔵江戸に出づ 其の一子即ち初代市川 團十郎也云々と 三升狂喜し 直ちに銅像建立を思い立ちしが果さず 父 十一代團十郎志を承け 此地に木標を建つも既に朽つ 不肖此の処に佇み 父祖の遺志を憶い 一碑の建立を発願するに 幸いなるかな普く甲州有志 の賛同を得 今茲に 市川團十郎家発祥顕彰碑の成就を見る 歓喜無量 感悦天翔る如し 此の挙に惜みなき芳庇を賜りし後援各位の御恩顧 市川 家一家一門子々孫々まで 永劫忘れまじきもの也
            昭和五十九年十一月吉日
                十代 市川海老蔵 敬白

市川團十郎発祥之地碑
 市川團十郎発祥之地 碑
歌舞伎文化公園の由来
 歌舞伎文化公園の由来