渡し碑コレクション
浮間の渡船場跡  [うきまのとせんばあと] 


場所
東京都北区浮間3丁目
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JR埼京線の北赤羽駅は 新河岸川をまたいだ高架駅である。この駅から新河岸川に沿って 南東に700m, 王子運送の南側に 北区が設置した説明板が建っている。

この場所は 現在は新河岸川が流れているが, かつては 荒川が大きく蛇行して流れていた。
明治末から昭和5年にかけて, 荒川放水路(現在の荒川)を新しく掘削して 岩淵水門で 隅田川と荒川を分離し, さらに上流側の蛇行した流路を改めて 川幅の広い 緩やかな流れにした。また 荒川に沿って新河岸川を通すなど, この付近の川筋は 大幅に変わってしまった。
近くの浮間公園に, 新旧の荒川の流路を描いた図があったので, 少し加工して下に示した。

撮影日
2005年2月
碑文
浮間の渡船場跡      北区浮間3-6地先

 ここにはかつて荒川の渡船場がありました。渡船場 はこの説明板を川に向ってやや左手から対岸の板橋 区小豆沢4丁目26番と27番の間を南北に通る道路 へと結んでいました。明治44年(1911)から昭 和5年(1930)にかけて行われた河川改修工事で荒 川の流路が変更されたため, 現在では渡船場のあった 場所は新河岸川の流路となっています。
 江戸時代後期の状況を示す「新編武蔵風土記」には, 浮間村の農民が, 対岸にあった耕地との往来のために 設けられたものでしたが, 渡船場を維持するかわりに 助郷を免除されていたと記されています。明治初年の 状況を示す「武蔵国郡村誌」には, 村道に属していて, 村の南方, 荒川の中程にあって, 人専用一艘, 馬専用 一艘の計二艘が運行する民営の渡船であると記されて います。渡船場は浮間村が運営しており, 小豆沢側の 船着場も浮間村で借りていました。
 渡船賃は, 村社の修復・道の修繕・分教場の費用に あてられたといいます。村民は東京に行く時に利用し ました。また, 浮間は桜草の名所として知られていま したが, 桜草の咲く頃には多くの人出がありましたの で, 現在の浮間橋寄りに臨時の渡船場ができました。 昭和3年(1928)5月, 下流に浮間橋が架橋される と, 渡船場は姿を消していきました。
    平成5年12月
            東京都北区教育委員会

浮間の渡船場跡 浮間の渡船場跡
浮間の渡船場跡
現在の新河岸川(南岸から見る)
浮間の渡船場跡
  荒川の流路の変化 現在の荒川の流路 改修前の荒川の流路