馬入の渡し [ばにゅうのわたし]
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場所 |
神奈川県平塚市馬入
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コメント |
JR 平塚駅から 東海道を西に向かい およそ1kmの 相模川の堤防の手前,
ホテルサンライフガーデンの先を 左に曲がると, ホテルの裏側に
「馬入ふれあい公園」が広がっている。
この公園の中, 相模川の堤防を少し上ったところに 平塚市が建てた碑がある。
馬入ふれあい公園は, 今年(2004年8月)に完成したばかりの,
相模川の河川敷と堤防を含む 広大な空間を生かした運動公園。
サッカー場やアリーナなどがある他, 広い緑の空間と水辺を楽しむことができる。
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撮影日
| 2004年9月 |
碑文
| 東海道 馬入の渡し
江戸時代, 幕府は大きな河川に橋をかけることを禁止しました。
そのため, 相模川(馬入川)や多摩川(六郷川)は「渡し船」, 酒匂川は「徒歩(かち)渡し」
などで渡っていました。
相模川には 60以上の渡し場がありました。大動脈である東海道は「馬入の渡し」と呼ばれ,
幕府が管理し, 周辺村々の負担によって成り立っていました。
当初, 船は須賀村だけで用意していたようですが, 元禄5年(1692年)に
対岸の柳島村が加わりました。また, 渡船賃の徴収などを扱う「川会所」の運営や
船頭の確保は, 馬入村など5か村が努めました。川会所や, 渡船額などの情報を掲示する
「川高札」は馬入村にありました。
渡し船には「小舟」と「馬船」がありました。小舟は人を乗せる船で定員20人ほど,
馬船は大型で馬が荷物を積んだまま横向きに乗ることができる船です。
このほかに, 将軍や大名用の「御召船(おめしぶね)」などが常時用意されていました。
また, 将軍の上洛など特別の大通行があった場合, 幕府は「船橋」を架けさせました。
図 渡船場眺望図(新編相模国風土記稿)
平成16年(2004年)3月
平塚市
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