柏木浜・志香須賀の渡し
柏木浜
古代の東海道の渡し場で対岸は豊橋市牟呂町坂津であったと伝えられる。
柏木とは「梶あげ」の転じたもので船の発着所である。
□足(※うたり)神社の祭神 □上足尼命(※うなかみのすくねのみこと)(雄略天皇の頃)は,
この地に上陸され穂の国(当時の東三河の国名)の国造(くにのみやつこ)として
治績をあげられたので 薨後この地に祀られた。
その後 白鳳15年(686) 現在の小坂井の地に遷宮された。
※
注:□=たけかんむりに兎 =
志香須賀の渡し
律令制のもとで, 都と地方を結ぶ道路が整備され 駅制がしかれた。
三河国には 鳥捕[ととり](岡崎市矢昨町) 山綱(岡崎市山綱町)と 渡津(小坂井町)の三駅が
置かれた。
駅には馬が配置され 中央や地方の役人が公用で往来する時に 駅鈴が与えられ,
これを持った者のみが利用できた。
古代の交通は多くの困難をともなったが, 特に橋のない大きな川は難所で,
豊川(当時は飽海[あくみ]川)の「志香須賀の渡し」もその一つであった。
東国への旅行者は, この渡津駅から船で 対岸の飽海・関屋・城海津・坂津あたりへ上陸し
高師山を経て 遠江国(静岡県) 猪鼻駅(新居町)へ向かった。
当時の豊川河口は川幅が広く, 波風が強い難所で, 増水や強風で何日も川辺で待たされたという。
いま, 渡津駅があった位置は明らかではないが, 豊川の流路の変化によって
位置も変わったであろうが, 平井から篠東附近の間に位置していたと推定され,
柏木浜も「志香須賀の渡し」の渡船場の位置を示す一つの地点として意義がある。
小坂井町教育委員会