渡し碑コレクション
山の宿の渡し  [やまのしゅくのわたし] 


場所
東京都台東区花川戸1丁目
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浅草・吾妻橋のたもとの 水上バス乗り場から 隅田公園に入り, 東武鉄道の鉄橋をくぐったすぐ先に 大きな自然石に『山の宿の渡し跡』 と刻まれた碑が目に入る。隅田川の堤防に背を向けている。

浅草寺まで 300mほどの場所なので, ここの渡しは 隅田川東岸に住む人たちが 浅草に参るための 貴重な通路になっていたのだろう。 碑文には 対岸の“墨堤”に行く行楽客で賑わった と書かれている。 そんなわけで 交通量も多かったようで, 吾妻橋は 隅田川にかかる橋の中では 早く, 江戸時代に架けられた。

当初は民間の資金で架けたそうで, 通行料を徴収する 有料橋だった。 渡し船は有料で運行していたので, 橋が有料となっても あまり抵抗はなかったのかもしれない。
吾妻橋は その後何回も流されて 架け替えを繰り返し, 明治中頃にようやく今の形の鉄橋 (トラス橋) になった。

隅田公園は, 隅田川の両岸にわたる 細長い公園だが, ホームレスの人たちがあちこちに見られて 雰囲気が暗く, 散歩していても楽しくない。

「山の宿」は「やまのやど」ではなく「やまのしゅく」と読む。

撮影日
2000年5月
碑文
山の宿の渡し跡            台東区花川戸1丁目1番

隅田川渡船の一つに,「山の宿の渡し」と呼ぶ渡船があった。 明治40年(1907)発行の「東京市浅草区全図」は, 隅田川に船路を描き, 「山ノ宿ノ渡,枕橋ノ渡トモ云」と記入している。位置は 吾妻橋上流約250メートル。 浅草区花川戸河岸・本所区中ノ郷瓦町間を結んでいた。花川戸河岸西隣の町名を, 命名。 別称は, 東岸船着場が 枕橋橋畔にあったのにちなむ。 枕橋は 墨田区内現存の北十間川架橋。北十間川の隅田川合流点近くに架設されている。
 渡船創設年代は不明。枕橋上流隅田河岸は, 江戸中期ごろから墨堤と呼ばれ, 行楽地として賑わった。桜の季節は特に人出が多く, 山の宿の渡しは それらの人を墨堤に運んだであろう。したがって, 江戸中期以降の開設とみなせるが, 天明元年(1781)作「隅田川両岸一覧図絵」は この渡しを描いていない。      Yamanoshuku no Watashi Ferry

             平成4年11月  台東区教育委員会

山の宿の渡し 山の宿の渡し
「山の宿の渡し跡」碑

吾妻橋  

 吾妻橋