浅草・吾妻橋のたもとの 水上バス乗り場から 隅田公園に入り,
東武鉄道の鉄橋をくぐったすぐ先に 大きな自然石に『山の宿の渡し跡』
と刻まれた碑が目に入る。隅田川の堤防に背を向けている。
浅草寺まで 300mほどの場所なので, ここの渡しは 隅田川東岸に住む人たちが
浅草に参るための 貴重な通路になっていたのだろう。
碑文には 対岸の“墨堤”に行く行楽客で賑わった と書かれている。
そんなわけで 交通量も多かったようで, 吾妻橋は 隅田川にかかる橋の中では 早く,
江戸時代に架けられた。
当初は民間の資金で架けたそうで, 通行料を徴収する 有料橋だった。
渡し船は有料で運行していたので, 橋が有料となっても
あまり抵抗はなかったのかもしれない。
吾妻橋は その後何回も流されて 架け替えを繰り返し,
明治中頃にようやく今の形の鉄橋 (トラス橋) になった。
隅田公園は, 隅田川の両岸にわたる 細長い公園だが,
ホームレスの人たちがあちこちに見られて 雰囲気が暗く, 散歩していても楽しくない。
「山の宿」は「やまのやど」ではなく「やまのしゅく」と読む。