渡し碑コレクション
押立渡し  [おしだてわたし] 


場所
東京都府中市押立町5丁目
コメント
旧稲毛道の渡し跡。
稲城大橋から 500mほど川下。押立町第二公園の近くに 府中市の設置した碑がある。

“押立”の地名は 左岸の府中市, 右岸の稲城市の両側に残っている。 稲城市側の押立は かつて「向押立村」と呼ばれ, 府中市側の 押立村民が新田開発した 場所で, 昭和20年代に 稲城市に編入された。

「稲毛道」は 神奈川宿から 矢倉沢往還・溝の口 に至る道。
鎌倉時代初期に 源頼朝の重臣・稲毛三朗重成の領地が 溝の口を中心に存在し, 江戸時代もその名称で呼ばれていたため この名があると言われる。

撮影日
2002年8月
碑文
押立渡し

 押立渡しは, 押立と 対岸の押立南部(現稲城市)とを結んでいた渡しで, 押立村が経営していたことから その名があります。
 新編武蔵風土記稿(幕末の地誌)の「押立村」の項には, 「土橋, 多摩川に架す, 長さ34・5間, 4月より9月までは橋を廃し, 舟を用ゐて渡せり」 と誌されており, 多摩川の水量の多い時期には 渡船による往来の便が施されていたようです。
  この渡しは, 下流の多摩川原橋(昭和10年)や 上流の是政橋(昭和16年)の開通によって その存在性が薄くなり, 次第に消えていったようです。
          平成元年12月   府中市

押立渡し 押立渡し
「押立渡し」碑