2000.4.3 「梅」のコメントページを追加しました |
〔桃の花が満開になり, 桜の便りもボチボチ聞こえてくるようになったというのに, 今ごろ梅の話題とは... ボヤボヤしているうちに 時期外れになりました。〕
梅の花は淋しい。
梅の一つひとつの花は可憐で美しいのだが, 梅の木が何本も並んでいる所で
『おお!美しい!』と感じることはあまりない。
寒い季節的に 肩をすぼめながら「梅見」をするためだろうか。
あるいは, 桜ほど花の密度が濃くないため, 白い花がチラホラ咲いている
という印象になるためだろうか。
理由はいろいろ考えられるが, 私はいつも 梅の花を見て 美しいと思うより,
淋しい花だ という印象を持つことが多い。
そんなわけで, 私は「梅見」に行ったことがあまりない。 ウン十年の間に ほんの数回の経験だろうか。横浜の大倉山, 京都の北野天満宮, 神戸の保久良神社 ... すぐに思い出せるのは こんなところしかない。 しかし どこも梅の花の印象は薄い。
それなのに, どういうわけか 今年はもう3回も「梅見」をしてしまった。
二宮の蘇峰記念館, 横浜の三渓園, それに 東京・大田区の池上梅園。
結論を先に言ってしまうと,「池上梅園」は素晴らしかった。
梅の花とは こんなに美しかったのか。
そんな強烈な印象だった。
二宮・徳富蘇峰記念館 |
記念館は 二宮駅から徒歩約15分, 秋葉山のふもとにある。 周囲は静かな住宅街。車が1台 ようやく通れるほどの狭い道に面していて, 近くには「蘇峰堂周辺の乱開発反対」という貼り紙が見られる。 ここでも宅地開発が進行しているらしい。
徳富蘇峰という人は 小説家の 徳富蘆花の兄にあたる。 今ではほとんど話題にのぼることもない 歴史上の人物だが, 皇室中心の やや国粋主義的な思想の人だったようだ。 (恥ずかしながら私は, 徳富蘆花と同一人物かと思っていた。)
入口の案内板に こんなことが書かれていて, これで おおよその由来は分かる。
徳富蘇峰先生は 日本が生んだ偉大な文豪であります。先生は明治, 大正, 昭和の
三代を 言論界の巨人として95年の生涯を文章を以て貫かれました。
その著書は「近世日本国民史」百巻を初め数百巻にのぼり 翁独特の文章は
該博な知識 透徹した思索と相俟って天下の読者を魅了したのでありました。
晩年の先生は塩崎秘書の住居であった二宮のこの地をこよなく愛され「蘇峰堂」
と命名 何回となく来遊されました。
その縁の地に塩崎彦市氏が翁の偉業を永く後世に伝えるため,私財を投じて
昭和44年(蘇峰の13回忌)に記念館を建設し,先生の著書 書簡 遺品等豊富な
資料を展示したものがこの記念館であります
徳富蘇峰記念塩崎財団
余談はとにかく, この記念館の庭は 梅園になっていて, 130本の梅が 毎年紅白の花をつけている。 梅園としては小規模なものだが, 「かながわの花の名所100選」にも選ばれているそうだ。
ここは 白梅が多く, 紅梅の数は数えるほどしかない。
古木が多く 樹齢300年という老梅まである。
つっかえ棒に支えられて かろうじて立っている 枯れ木寸前のものもある。
それでも かろうじてポツポツと花をつけているが,
まるで 腰の曲がった老人が杖をつきながら ヨロヨロと歩いている姿のようで
痛々しい。
横浜・三渓園 |
三渓園は, 美術愛好家として知られる 生糸貿易商の
原三渓(本名 原富太郎)の私邸として, 明治35年に 横浜市中区本牧に造られた,
広さ約5万5千坪(17.5万平米)という広大な面積の日本庭園で,
明治39年から一般に公開されている。
第2次世界大戦で被害を受け 一時はかなり荒れていたようだが,
昭和28年に 横浜市に寄贈され, 財団法人三渓園保勝会 の管理の下で
昭和30年代になってから ほぼ昔の姿を取り戻した。
元々 三渓園のすぐ南側は海になっていて, 本牧海岸沿いにこの庭園が造られたはずのだが, 現在は埋め立てられて ずっと先まで工場地帯になってしまっている。
三渓園の特色は, 起伏に富んだ自然の景観の中に 京都や鎌倉などから集めた
歴史的建造物が 計画的に配置されてきたところにある。
園内には 国指定重要文化財が10棟, 市指定有形文化財が3棟ある。
山あり谷ありの庭園の広さと その構成は大変すばらしいが,
それ以上に 重要文化財級の建物を 個人的にこれだけたくさん収集し
移築したという事実に, この時代の豪商のスケールの大きさを思い知らされ
驚いてしまう。
庭園の中央部に小高い山があって, その頂上には 旧・燈明寺の三重塔が
まるで三渓園のシンボルのように そびえている。
その山を裏に回り込んだところが 梅林である。
資料には「およそ2000本の梅の木がある」と書かれているが, これは本当だろうか。
それほどたくさんの梅があるように見えない。山のかげになった地形のせいで
見通しが悪いせいだろうか。
ここも白梅が多く 紅梅の数は多くない。
この梅林は 山に囲まれた谷のような場所にあるため, 午後になると 早春の日差しは
山にさえぎられてあまり届かなくなり, 薄暗い感じになる。
そのため せっかくの梅の花も 何やら薄寒い印象である。
この梅林は, 明治中期に 川崎市小向にあったものを まとめて買い取ったもの
という話もあるようだが, 詳しいことは分からない。
この場所から山を見上げると, 三重塔と梅の花が重なって なかなかいい風景である。
三渓園には もう一か所, 南門付近に「中国梅林」があるのだが,
時間の都合で 通りすがりに横目で眺めただけなので,
残念ながら 全く印象は残らなかった。
東京・池上梅園 |
池上本門寺は, 1282年に日蓮上人がこの地で没したため,
日蓮を偲んで建立されたという 日蓮宗ゆかりの大本山。
全国に200の末寺を持ち 関東地方では有数の名刹。
江戸時代には 徳川幕府の保護を受け 大いに発展したという。
以前から 一度じっくり見て回りたいと思っていた寺の一つだが,
2月の午後は 陽が落ちるのも早い。境内を通り抜けて 梅園に急ぐ。
本当は直接梅園に行く道があったのだが, 地理不案内なため少々遠回りして
くたびれた頃にようやく梅園に到着。
入園料100円也を払って中に入り 息を呑む。凄い! 美しい!
入口の目の前が 西向きの斜面になっていて,
ちょうど満開の紅梅・白梅が 午後の陽ざしの中で斜面を埋めつくしている。
資料によると, 白梅は全部で155本, 紅梅は221本植えられているのだそうで, 紅梅の方がずっと多い。 やはり梅の花は 白ばかりでなく 色があった方がいい。
右の写真のように, 桃の花のような濃いピンクの梅や,
細く長い枝に花をつけて 垂れ下がっている しだれ梅,
日本に3本しかないと言われる“座論梅(ざろんばい)”など,
非常にたくさんの種類があるようで, 梅について知識のない者でも
一本ずつ花を見て歩くだけで 楽しい。<
斜面を上がって 見晴らし台から下を見下ろしてみる。これがまた素晴らしい眺め。
梅の花のジュウタンだ。
この日は メジロは不在だったようで, 残念ながらお目にかかることはできなかった。
この 池上梅園は, 元々 日本画家の伊東深水氏(朝丘雪路の父親)の邸宅だったようで,
その後 築地で料亭を経営していた小倉氏が私邸として使っていた。
小倉氏の死後,“庭園として後世に残す”ことを条件に
遺族から大田区に譲渡され 公開されることになった。
面積は約2500坪。370本の梅の木の他に, つつじが800株, その他 スモモ・栗・柿 など 50種500本余りの樹木がある。 昭和58年に開園され まだ20年近くしか経っていないが, 大変よく整備された 貴重な庭園である。