[2005-4-2] 「雁木」のコメントページを追加しました |
雁木 (がんぎ) という言葉を聞いたことがあるだろうか。
雁木 という単語は いろいろな意味合いで使われているようで,
広辞苑には 次のように書かれている。
船着場の雁木 |
広辞苑には触れられていないが, 将棋にも 「雁木」という用語がある。
金・銀・角が玉を守る形で, 「居飛車」 の一つの形となる戦法の一つらしい。
(将棋には詳しくないので 説明は省略)
また, 単なる石段も「雁木」と呼ばれることがあり, 東京にも「雁木坂」という 名前の階段状の坂道が いくつか存在する。
ここで取り上げるのは (3)項に該当する「雪国の雁木」である。
雪国では 冬になると 積雪で道路が歩けなくなるため,
街道の家が 道路側にひさしを長く伸ばして その下を歩けるようにすることがある。
母屋と一体となった構造で, 道路側は 柱があるだけだが 軒下は歩道として開放される。
これが 雪国の「雁木」である。
しかし 「雁木」という言葉の由来が「雁の行列のようなギザギザ」
だという 広辞苑の解釈は, 雪国の雁木には あまり当てはまらないように思う。
何か 理由があるのだろうか・・・
糸魚川 |
糸魚川(イトイガワ)市は ヒスイの町。駅前には “ヒスイ王国館”という建物があって,
この町がヒスイの産地であることを知らせてくれる。
町中を歩いてみた限りでは, ごく平凡な小都市 という印象で,
駅から北に向うと 1キロほどで 海岸に達する。
30分も歩けば 町の様子はだいたいわかる。人口は 32,000人ほど。
ヒスイ園 とか フォッサマグナミュージアム などという施設もある。
(糸魚川の市街地図は
糸魚川市のホームページ が見やすい)
そういえば, 糸魚川という地名は フォッサマグナ(糸魚川-静岡構造線)が通っていることで有名。
日本列島を横断する 大規模な地殻変動の跡。
この構造線に沿って 妙高-黒姫・・・富士山 と火山が連なっており, これが
ヒスイを作り出したのだろう。
雁木通り商店街
旧加賀街道が 横町から大町にかけて東西を直線的に走る中で, 本町の商店街に昔ながらの 雁木 が保存され, さらに町並み景観の修復と 特色あるまちづくりが 平成6年3月 竣工しました。ちょっと分かりにくい説明だが, こういうことらしい。
雪国文化を利用した 和風アーケード に美しい切石の石畳が敷かれ, 木製の温かさ, やさしさを表した雁木, 商店の特徴をひと目でわかる絵馬型看板, 口上書, ところどころに配された石像八福神は, 七福神に地元の奴奈川姫(ぬながわひめ)を加えてのアイデアです。
雁木を「願木」と読み替えて, 誰でも願いごとを絵馬に書いて 八福神に託すると成就すること間違いなしといわれています。 平成6年「まちづくり功労建設大臣賞」を受賞。
普通のアーケードに比べると 屋根が低めで, なんとなく圧迫感がある。
視界がさえぎられる感じがする と表現すればいいのか。
余計な話だが, 上の説明にもあるように, ここの“絵馬型看板”は ユニークでとても面白い。
(写真下)
結局 糸魚川では 本物の雁木に出会うことはなかったのだが,
ぜひ一度見たいものだ という願望が強くなった。
その後 雁木について いろいろ調べて, 上越市・長岡市 などに行けば
今も 昔ながらの雁木で出会うことができることを知った。
高田 |
高田は 上越市 の一部。昭和46年に, 高田市 と 直江津市 の合併によって 上越市 になった。
ここの売り物は, 上杉謙信の "春日山城" と "豪雪" だった。
しかし最近は "豪雪" というほどの雪が積もらなくなって, 雪のイメージは 比較的薄らいでいるようだ。
(地図をクリックすると拡大表示) |
雁木は, 明治から大正のころに, 上信越地方を中心に 多く造られたが,
江戸時代初期には すでに雁木の形ができていたらしい。
上信越と言っても ほとんどが新潟県で, 山形県・秋田県などの東北地方には あまり存在しない。
わずかに 青森県などで「コミセ」という名前で同じ構造の建築が造られていたらしい。
現在は 新潟県内でも 古い街並みの残る一部の町 (上越市・長岡市・栃尾市など)
に行かないと見ることができなくなっている。
そんなわけで, 今年の1月“本場の雁木”を見に わざわざ 高田 まで行ってきた。
信越線の高田駅を出ると, まず 高田駅そのものの形に驚かされる。立派 !! (写真左)
でも, 正面からみるといいのだが, 横からみると 奥行きがあまりなく,
ちょっとガッカリ。
東京駅に似せた という話もあるが, むしろ どこかの城を思わせる形である。
駅前広場は工事中だったが, ここに 高田城 のミニチュアを造る計画と聞いた。
駅前通りを眺めれば 似たような形のアーケードが続く。「平成雁木」と呼ぶらしい。
本物の雁木というより やはり “雁木風アーケード”だ。
町の近代化に伴って 雁木がどんどん失われていったため, 雁木をモチーフに
特徴ある街づくりを計画して ほぼ完成している。
右の地図の 青線 のように 駅前の通りを 500mほどが
この「平成雁木」となっている。
雁木は 道路に面した家から 長い庇(ひさし)が伸びて, その下が歩道になっている構造をいう。
各地で普通に見られる アーケード と基本的に違うところは, 家につながった構造であって
隣の家の雁木とは つながっていないところにある。
したがって, 家が一軒ずつ 構造や外観が異なるように,
雁木の高さ・傾斜・色・屋根の形・材料 などは 家ごとにまちまちである。(右写真)
このため 外観に統一がなく 美しくない という批判もあるだろうが, むしろ 雁木下の歩道の幅をそろえて
法律によらずに こういうシステムを作り上げたことを 称賛すべきだと思う。
家を新築する時に "自分は雁木に反対だ" と言って 一軒だけが雁木の構造にしなかったら
雁木通りのシステムは崩壊してしまう。
基本的に 雁木の下の歩道部分は 私有地 だという。
当然 雁木は私費で作られ 歩道の舗装も自前で行う。
したがって 舗装のしかたも 不揃いで 凸凹していて 歩きにくい。しかし 私有地を歩かせて
もらっているのだから 文句を言ってはいけない。
ただし 地域によっては, 公道の歩道上に 雁木が造られたところもあると聞いた。
雁木の形は 大きく分けて 「造り込み雁木」と「落とし込み雁木」に分かれる。(右図)
高田で見られる雁木の多くは 「落とし込み雁木」で, 家から庇が伸び出した形をしていて, 庇の上には
何もない。
「造り込み雁木」は 家と雁木が一体に造られ, 雁木の上の2階部分に部屋が乗った形のものをいう。
2階建ての家屋の 1階部分を 歩道として開放した, と表現した方が当たっているかもしれない。
土地の有効利用 という意味では, 造り込み雁木の方が有利なはずなのに,
落とし込み雁木 の方が多いというのは なぜなのだろうか。
その代わり なのだろうか, 雁木の上(屋根裏)を 物置として有効利用している家が少なくない。
特に 屋根の雪下ろしをする時に使う 滑り台形 (浅い舟のような形) の長い道具を
いくつも見かけたのが 印象的だった。
余談になるが, 雁木を眺めながら歩いていて 不思議なものを見つけた。
雁木の屋根の上から 家屋の2階の屋根にかけて, 長いハシゴを造りつけている家が多いのだ。
このハシゴは 何だろうか?
以下 私の勝手な想像で 確認は取っていない。
雪国では 大雪が降ったあと 屋根の雪下ろしが大仕事である。
普通は その都度ハシゴをかけて 屋根に登るわけだが, 雁木の上から 2階の屋根にかけるハシゴは
固定するのは 難しく 危険である。そのため 初めから造りつけられたハシゴなのだろう。
雪国の知恵である。
時代が変わるにつれて 雁木はすたれてきている。その理由は,
現代の暮らし方に合わないものが すたれていくのは やむを得ないのだが,
伝統的なものが失われていくのも また残念なことである。
それを補うのが 高田の「平成雁木」であり 糸魚川の「雁木通り商店街」なのだが,
これらは やはり「雁木風アーケード」であって, 雁木とは同じものにはなり得ない。
いずれ時間が経てば 本当の「雁木」は見られなくなるのだろう。
雁木に興味のある人は, 見るなら 今のうちしかない。