土柱                      i

[98-12-27]


人工衛星から撮った四国の写真を見ると, 東は徳島から 西は松山まで 直線状の平地が続いているのが よくわかる。更にこの直線は 紀淡海峡を挟んで 対岸の紀伊半島にまで入りこんでいて, 和歌山から 吉野まではっきりと続いているのが見られる。
まるで できあがったケーキに スッパリとナイフを入れたかのようだ。 日本列島を造ったカミサマが うっかり作品にキズをつけてしまった ようにも見える。

宇宙から見た四国と近畿
普通の日本地図では これほどはっきりした地形は見えないので, こうして衛星写真を眺めていると 自然の摂理の不思議さを思う。
中央構造線と呼ばれるこの断層帯には, 四国には 吉野川が, 紀伊半島には 紀ノ川が流れている。
(紀ノ川の上流は 同じく 吉野川と呼ばれるのは 単なる偶然の一致なのだろうか。)

11月末に, 四国の吉野川沿いの地域に行ってきた。


2年前の新聞で 徳島県に『土柱』なるものがあるという記事を読んで, 一度行ってみたいものだと思っていた。
いずれ明石大橋ができたら 行く機会もあるだろうと思っていたのだが, 機会というのは 積極的に作らないとなかなかひとりでには出来ないものらしい。 いつでも行けそうなものなのに いつまでたっても徳島行きのチャンスができない。 こりゃ 待っていても駄目だから 『土柱』だけを目的に行ってみるしかないな... というわけで 土柱を見にノコノコ出かけた次第。
(本当は ついでに, 脇町というところの『うだつの町並』も見てきたのだが, それについてはまた別の機会に。)

土柱地図 明石海峡大橋ができて, 徳島が近くなっているのは 観念的には分かっていたのだが, 実際に行ってみて あまりの近さに いまさらながら驚いてしまった。
朝 8時に"高速舞子"でバスに乗ったら, 9時半にはもう 徳島駅を歩いていた。 時間が早過ぎて 徳島駅ビルのデパートはまだ開店前だった。

実は この2年の間に 何人もの人に 「"ドチュー" を知っているか」と聞いてみたのだが, 知っている人は一人も いなかった。 四国出身の人にも聞いたのだが やはり知らなかった。 たまたま徳島出身の人がいなかったせいかも知れないが, それだけ 土柱の名前はローカルなのかもしれない。

『土柱』というのは, 言葉で説明するのが難しいので 先に下の写真を見ていただきたい。 要するに 土の層が雨水によって浸食されて 柱状に残ったものである。
このような景観は, イタリアのチロル地方と アメリカのロッキー山脈にもあって, 地元では 阿波の土柱と合わせて 「世界三大土柱」と呼んでいる。 海外の土柱は 山奥深くにあって 容易に近づけないため, 観光地化しているのは ここ阿波の土柱だけなのだそうだ。

崖上から見た土柱 徳島から 徳島線の列車で 1時間。阿波山川という駅で降りる。
土柱までは 駅からタクシーで 20分。阿讃山脈の南斜面にある。 タクシーの運転手が「土柱は 上から回りますか, 下から行きますか」と聞く。 おいおい, 初めてやって来た観光客は そんなこと聞かれたって困るんだ。 「楽な方から...」てな返事をしたら, 「崖の上まで行きましょう」とのこと。
非常に狭い山道を3分ほど上がると 『土柱頂上』と書いた標識が見えた。

土柱を崖の上から見下ろすと とても怖い。何しろグズグズと崩れやすいので 足を滑らせると崖下まで落ちてしまいそう。 数年前まではここに展望台があったそうだが, 崖が浸食されてきたため 撤去したのだそうだ。
場所が狭いので 手すりなどの防護設備が作れないのか, 事故が起きたら その時にゆっくり考えようというのか。
こんなに無防備なのは 観光客があまり多くない証拠なのかもしれない。
崖上から
崖の高さは 30〜40mほど。
写真のようにいくつもの深い溝で刻まれ, 独立したものは 文字通り『土の柱』状になっている。 崖や柱の頂上に松?の木が生えているのや どまんじゅう風のもの, あるいは とがっているものなど様々である。

この場所での崖の幅は 300mぐらいだろうか。それほど規模は大きくはない。 そのため あまり有名にならず, 実質的に保護されているのかもしれない。
しかし それでも 国の天然記念物に指定され, この辺り一帯は「土柱高越県立自然公園」となっている。

崖の上から谷底を見下ろす形になっているため, 箱庭に造られた珍奇な造形を眺めているような錯覚を覚える。
崖の遠景
頂上から遊歩道沿いに下っていくと, 今までいた崖の正面に位置する所にある展望所にたどり着く。
あの崖の上を さっきまで歩いていたわけだ。

ここに 『土柱の成因』を書いたパネルがあった。
それによると, この土柱は 数万年前に 吉野川が現状よりも 150mほど高い位置を流れていた時に, 当時の河床に堆積した 砂や砂利が固まって出来た地層。
この地層は 年代的に若いため 充分に土砂が固まっておらず, 容易に雨水に浸食されていったが, 抵抗力の強い部分だけが浸食を免れ 今のような形で残った ... ということのようだ。
土柱
岩石が浸食されて柱状に残っている地形は 世界中あちこちにあるが, どうしてここでは 「土(砂利)の柱」が残ったのか, 上の説明には 理解しにくい部分がある。

左の写真のように 直径数mの独立した土柱が立っていたりするが, まことに 不思議な風景である。

土柱はすぐそばまで近寄って 手で触れることもできる。
右の写真のように, 土柱自体は どこででも見かける 普通の砂利と砂が固まったもので, 手で触れるとザラザラと崩れ落ちる 非常に不安定なものである。
どうして こんな状態のまま 現在まで残っていることができたのだろうか。 どうしてここだけが円柱状に残ってしまったのだろうか。 とても不思議に思う。
納得いかないなぁ・・・
無粋な鉄塔
余談だが, 例の“裸の大将” 放浪の画家 山下画伯が 40年前にここを訪れた時,
「これ, 人間が作ったのとは違うんだろうな。わざわざ作るのは馬鹿らしいもんな」
と言った ... という逸話が残っている。

実にダイナミックな風景で 楽しむことができたが, 一つ残念なことがある。
この写真の 見事な形の土柱の左側に見えるのは 夜間の照明施設である。
大事な景観のド真中に 照明塔や電柱をむき出しで設備するとは, まったく無粋なことである。
観光のために 自ら自然破壊をしているのは 許しがたい。


[99.1.7 追加]

『土柱』にいただいたコメントの一部をご紹介。

【 Sさんから 】

メール有り難うございました。
メールを見て、 先ず「土柱」って何だ! と思いました。
ホームページを見て、分かりました。しかし、全く知りませんでした。
何時も小川さんの行動力には感心してしまいます。
また、ひとつ新しいことを教えていただきました。

【 Tさんから 】

写真を見ているだけで, 足元がムズムズしそうですが
実際に行ってみたいところですねぇ〜

地元の観光地ってなかなか訪れないものですね。
改めて, 自分の住んでいる地域の名所を調べてみるのも楽しいかもしれません。

ドチュ〜って読むのですね。

【 Fさんから 】

『土柱』と書いて『ドチュー』と読むのですね。
私はすっかり『つちばしら』だと思ってました。

徳島にこんな国の天然記念物があるとは知りませんでした。
私はイタリアもアメリカも行った事がないので(行く予定もない),
ぜひ行ってみたいなぁと思いました。
こういう自然がつくり出しだしたものを見ると,自然の驚異を感じます。
人には理解出来ないような, 何か不思議な力が自然にはあるんですよね。
きっと。
まぁ今行くと風に飛ばされて落ちそうなので,もう少しして
暖かくなってから行きたいです。ぜひ明石大橋を通って・・・

【 Iさんから 】

今回は、断層の話かな? と読んでいくと「土柱」(とちゅう?)(どちゅう?)だったのですね。
初めて聞く言葉で、想像も出来なかったのですが、読んでいくと、なるほど、
と納得します。
今年一年、いろいろな所に案内して頂いて楽しく拝見しました。
来年も楽しみにしております。

すみません。「どちゅう」が正解です。
おそらく 読み方が分からないだろうと思って, このページの背景に 大きく DOCHU と書いておいたのですが, 背景はあくまでも 背景であって 注目してくれる方は少ないようですね。(^^;)
「ドチュウを知っているか」と聞いた人の反応では, 「土中」と思った人が 多かったようで, 「ミミズの話か?」などと言われました。 中には「土佐中学か」という人がいて, 想像力の豊かさに感心しました。

【 Uさんから 】

不思議な光景ですね.
若い地層といっても数千年のオーダではなくてその上でしょうから, 自然のやることは
スケールが大きいですね.

先日,同窓会があり, 先生が中国を訪問され, そのスケールの大きさに影響されて,
「電気なんてまだフランクリンが凧を上げて300年(少し不確か)しかたっていない.
物事は千年先を考えておかなければならない」とおっしゃっていました.
それに比べてわれわれの工程表の何と短いことか.

【 Tさんから 】

四国には今までに4度(一度目は学生の時の車での一周旅行、二度目は会社の親睦
団体の連絡会、3度目は販売推進キャラバン?、最後は妻と一緒に、鳴門の渦から
土佐の桂浜に、祖谷渓谷、道後温泉の一周旅行)も行ったのに、しかも一周旅行が
2度もあるのに、徳島のドチュウについては全く知らなかったとは。
しかし、この奇観にはびっくりしたなー。
淡路島に会社の保養所があり、一度泊ってみたかったので、そこへ行くついでに
(失礼!ドチュウを見に行って淡路島の保養所に泊るというのが正しい表現です)、
嫁さん(いけない。これは差別用語だと人権委員会の人が厳しく言っていたな。
正しくは「妻」)と来春にでも出掛けてみることにしようか?

【 Hさんから 】

 目障りな鉄塔は、そんなものどこにでもある、って感じ。
 世界中のどんな観光地にも、無神経かつ低予算な役所によって雰囲気台無しな
 オブジェがあるのだ。本当に力を注いでいる、例えばギザのピラミッドとか
 くらいぢゃなかろうか、「無粋」ではないのは。
  勿論、センスと好みとは別の話。

【 Aさんから 】

上からとった写真をみるだけでも、足がすくむ思いがしました。
日本にも、あんな不思議な風景があるのですね。。。
ちなみに、トルコのカッパドギアは、、土柱では、ないのか???
なんだか、写真をみてて、カッパドキアを連想してしまいました。
トルコに行く前に、まずは徳島から、、、なんて〜

カッパドギア

おかげさまで, 明石たよりも グローバルなコメントをもらえるようになりました。
いきなり ギザのピラミッドが出てくると ドギマギしますが, 神経使って景観を保護しているところは 決して少なくはないように思いますが...

カッパドギアって何だろう? というわけで トルコの観光案内を調べてきました。
この写真を見ると 確かに土柱に似ていますが, 少し(だいぶ?)違うのは カッパドギアは 石柱(石灰岩?)のようです。
石柱のほかにも 洞窟がたくさんあったりして, 興味シンシンです。 いつの日か 訪ねてみたいものです。(老後の楽しみに...)

【 Yさんから 】

小生  学生時代を徳島で過ごしましたので、その時行きました。
小川さんも感じたかも知れませんが、写真より実物が貧弱ですね。
普通は逆ですが・・・・。

【 Mさんから 】

『土柱』?? 何それ?の世界でした。
徳島といえば 父の出身地なので 聞いてみたところ、
  - もちろん知ってるけど、人に勧めたり自慢したことない。
  - 子供の時に一度行ったきりで、でも小規模なもんだよ。
    そりゃあ、世界的に珍しいものだから 価値としてはすごいのだろうなぁ。

 (そこで大阪出身の母が口をはさんで)
  - でも やっぱり徳島といったら、『日和佐の海ガメ』。
  - 『うだつの街並』?
    あっ、それはもう 観にいくのであれば そっちやな。
    これは徳島に限らず 他にもあるけどな。やっぱりな。

そんな・・ 私たちは 会社で、春に明石海峡大橋渡って徳島へ行こうー
と盛り上がったのに。
てな訳で、『うだつの街並』のアップを待っております。
春までにお願いしますね。

土柱を知っている人に 初めて出会いました。やはり地元の人しか知らないようですね。

確かに 規模は大きくないです。正直のところ《あれ?これで終わり?》と思いました。
写真に見える崖は 毎年何十センチ?ずつ浸食されて後退していくのに, 崖の後ろ側は 狭いところでは あと数メートルの余裕しかなくて その後ろの谷に落ち込んでいる。 つまり この地層は あと数メートルしか残されていないように思われます。
ということは, この景色は次の時代には衰退していくのかもしれない... などと思うと, もっと積極的に保護しなければならない と実感します。

「うだつ」の話題を期限付きで催促されると...あせってしまうなぁ。(^^;)
多分 次回ではないでしょう。

【 Yさんから 】

今回の「土柱」というのは 初めて聞く/見る「はなし」でした。

最初,地図を見て これは中央構造線の話しかな なんて思ってしまったのですが
よく考えたらタイトルは「土柱」ですものね。

それにしても 行動的ですね。岡山まで「猫博物館」を訪ねたり そして 今度は
徳島ですか・・・・。

【 Mさんから 】

松山あたりから、吉野までのラインは、以前から気になっていました。
私見では、八幡浜から、松山、和歌山、伊良子岬(渥美半島)、富士山・・・
へと続いているのではないかと思っています。
それにしても、衛星写真ってのは地形をマクロに楽しませてくれますね。

地図の好きな方は やはりそちらに目が行ってしまうんですね。
日頃 等高線や道路・線路が書き込まれた地図しか見ていないので, 衛星写真と見くらべたりしていると 何時間でも楽しめます。(^-^)

中央構造線の先がどこまで続いているかですが, 「現代用語の基礎知識」には
『中部地方の諏訪湖付近から天竜川(中流まで)、豊川の谷を通り、 渥美半島の北と紀伊半島の中央を西に走って、 四国の吉野川から佐田岬半島北側を経て九州中央部まで貫いている』とあります。 静岡県西部から 富山県まで? を走っている フォッサマグナのラインで 切れている ということのようです。
しかし この説明だと, 愛知県の東側は フォッサマグナと重なるような気がするので, ちょっと納得しにくいな と私は思っています。 (シロートが何を言うか と怒られそうです)
紀伊半島から東側は あまりはっきりした地形が残されていないので, 諸説あっても不思議はない, と思うことにしています。




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