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[99-1-24]
11月末に「土柱」に行ったついでに, 「うだつの町並み」に立ち寄ってみた。
土柱から 西に向かって 5kmぐらいのところに 「脇町」という町がある。 正確に言えば 徳島県美馬郡脇町。
この町の 吉野川沿いの 南町 というところには , "うだつ"を上げた町家が
数十軒並んでいる。
500m程の1本の通りの両脇に ずら〜っと並ぶ "うだつ"は なかなかの壮観である。
『うだつが上がらない』という言葉がある。 「なかなか出世ができない」とか「いつまでも下積みから はい上がれない」 というような あまりパッとしない意味で使われるが, 辞書を引くと 「裕福な家でなければ”うだつ”を上げることができない」 ことから この言葉ができたとある。
『うだつ』は 『卯建』とか 『木兌』(「木」ヘンに「兌」) という文字が使われる。 右の写真の ← の部分がそれで, 一見すると 防火壁 のようにも見える。 事実 構造的には土蔵造りの厚い壁になっているので, 元来は 防火の役目を果たしていたのだろうが, 時が経るにつれて 建物の外側だけの構造物になってしまい, 単なる飾り物に変化してしまっように思われる。
この脇町というところは,
江戸時代中期以降に 商業と交通の要衝として栄えてきた町で,
吉野川中流地域では 川の対岸にある 貞光 という町と並んで二大商業地を形成していた。 南町地区は 旧商家が並んだ 街道として最も繁華な通りだったようで, 建物の大半が元のまま残っており, 一番古いものは宝永4年(1707年)のものだという。 寛政年間から 明治・昭和に至る町屋の変遷をたどれる貴重な遺構となっている。
この通りは 道路は美しくカラー舗装され, 観光に不似合いな電柱は撤去され,
また老朽化した家は順次改修するなど 景観をよくするための投資も進め,
すばらしい街づくりをしている。
土柱を訪れる客が 中年以上の男女が中心 (おそらく 四国八十八ヶ寺巡りの途中に立ち寄るのか)
であるのに対して, ここ脇町は 若い(〜中年の)女性を中心にした観光客のようだ。 | |
「うだつ」 というのは, 別に 脇町だけにあるわけではない。
ある学者がこんな風に書いている。
「うだつ」は京都文化圏の町家の特徴で, 今も 京都・大阪を中心に広い範囲でみることができる。 一方, 関東から北の地域の古い町家に「うだつ」をみることは少ない。私の知る範囲では, 岐阜県・美濃市(写真・左)と 長野県東部町海野宿(写真・右)で うだつを見ることができる。
ところが 江戸時代初期の江戸の町では, 「うだつ」が上がった京風の町家が一般的であった。 京都をモデルに 江戸の町は造られた。
しかし, 明暦3年(1657)の振袖火事を契機に 江戸独自の形式を造り上げ, 「うだつ」は消滅した。
脇町の話から 脇道にそれるが, うだつについて調べている間に
『歴史的町並み』とか 『重要伝統的建造物群保存地区』 という言葉に頻繁に出会った。
普段は ほとんど気にすることもないような単語だが, 「うだつの町並み」の美しさが
この『重要伝統的建造物群保存地区』 (略して『重伝建』 ・・・ 美しくない変な略語だ)
によって造られ 守られていることを知って, 少し調べてみた。
この『重伝建』制度は 国(文部省)が「文化財保護法」に基づいて選定するもの。 「周囲の環境と一体をなして 歴史的風致を形成している 伝統的な建造物群」で 特に価値の高いものを選定して、建物だけでなく地域として保存しようというもの, だそうだ。
現在 北海道から沖縄まで, 全国46ケ所が選定されている。 その代表的なものは,
神戸市 北野町 (港町) 京都市 産寧坂 (門前町) 長野県 南木曾町妻籠宿 (宿場町) 長崎市 東山手 (港町) 函館市 元町末広町 (港町) 岐阜県 高山市三町 (商家町) 岡山県 倉敷市倉敷川畔 (商家町) 長野県 東部町海野宿 (宿場・養蚕町) 岐阜県 白川村荻町 (山村集落)・・・ ああ, とても書き切れない。
最近は どこへ行っても同じようなビルや住宅がゴチャゴチャと建ち並び,
あまり特徴もないし 美しくもない。その地方独特な伝統的な町並みが消えて,
金太郎飴みたいに どこの町もおんなじ景色になってしまうのは とても残念なことだ。
そういう意味で この『重伝建』は, うまく運用されるならば とてもいい制度だと思う。