99.6.30 葵祭のコメントページを追加しました |
京都では,
5月15日 の 葵祭, 7月17日 の 祇園祭, 10月22日 の 時代祭
の3つが 「京都三大祭」と呼ばれ, お祭り好きの関西人の間でも
何本かの指に入る大きなお祭りとされている。
私も4年以上も関西に住みながら 一度もこれらのお祭りを見たことがなかった。
なにしろ 有名なお祭りというのは, 人がたくさん集まって ゆっくり見ることもできない。
ましてや“三大祭”などという有名な祭は, 混雑を見に行くようなもので
疲れるだけだ ... と はじめから敬遠していたきらいがある。
それに, 正直に言うと, 私は子どもの頃 祭の日に,「これからオミコシをかつぐから
一緒に行こう」と 近所の子ども達が誘いにきても,
居留守をつかって出ていかなかったくらい お祭り嫌いだった。
その気分が今でも多少残っているのかもしれない。
先月, 5月14日に, Tさんから「明日の葵祭に一緒に行こう」と誘われた。
上に書いたような理由で 「混むんでしょうねぇ...」と, かなり リラクタントな
気のない返事をしていたが, 「京都の祭を見に行くのは これが最後のチャンスかも
しれないよ」 という一言で, 《そういえば そうだ》と思いなおして
一緒につれて行ってもらうことにした。
行った感想を先に言ってしまうと, 混雑は予想したほどではなかったし,
天候にも恵まれて, 大変楽しかった。
葵祭の特徴は, 大勢の人が 平安時代の装束で京都の中心部を行列することにあり,
この行列を丁寧に観察していると, 平安時代の服装・身分・位階・習慣などが
おぼろげながら分かってくる。
最近「桃尻語訳 枕草子」という本を読んだばかりで,
「桃尻語」で解説された 平安時代の宮中での
「女房」の服装や生活習慣などが頭にあったので,
大変興味深かった。
葵祭 巡行コース 1999年 (京都新聞より) |
行列は 平安時代の衣冠束帯をつけた 総勢500人の人たちと, 馬が30頭 牛が4頭 というメンバーで, これが長さ1キロの列をなして 京都御所〜下鴨神社〜上賀茂神社 の間 5〜6キロにわたって練り歩く。それも 平安時代の習慣 (役人の身分の上下や しきたり) をそのまま再現したもので, それぞれの服装やその色などには 厳密な意味づけがある。
以下 延々と行列が続くが, 特徴のある写真のみ掲載。
乗尻(のりじり)……行列を先導する騎馬。
素襖(すおう)……行列の先払い。
火長(かちょう)……検非遣使庁の下級役人。
看督長(かどのおさ)……検非違使庁の低位の役人。
検非遣使志(けびいしのさかん)……警察・裁判を司る役人。
志は 長官より4番目の役で 6位。
検非遣使尉(けびいしのじょう)……太夫の尉で5位の判官。【写真】
鉾持(ほこもち)……放免と称し司庁の下役人。
山城使(やましろつかい)……山城介で国司庁の次官。
衛士(えじ)……諸国の軍団から交替で上京し、宮城の警備にあたった兵士。
内蔵寮史生(くらりょうのししょう)……内蔵寮(金銀宝器を保管し, 祭の貢ぎ物などを司る役所)の役人 【写真】
走馬(そうめ)……馬の列。昔は寮馬6匹の外に中宮・東宮から献ぜられた。
馬寮使(めりょうつかい)……走馬の担当者。
牛車(ぎっしゃ)……俗に「御所車」と呼ばれる。
これは勅使の乗用のものを 行列を立派にするため引き出されたもの。
紫の藤の花房で飾り立て, 車輪を軋ませながら現れる。【写真】
舞人(まいびと)…… 舞いを舞うための人々で れっきとした役人。
朧(くとり)……内蔵寮の御馬の役人。
勅使(ちょくし)……行列中最高位の人。 「近衛使」とも呼ばれる。
天皇の使者で 現在は宮内庁から旧公卿, 華族の掌典がつとめる。
風流傘(ふりゅうがさ)……巨大な傘に紺布を張り, これに錦の帽額総(もこうふさ)などをかけわたし 上にさまざまの造花を盛ったもの。 【写真】
内蔵使(くらつかい)……内蔵寮の次官で 御祭文を捧持する役。
ここまでは 男性だけの行列だったが, この後に女性(女官)の列が続く。
命婦(みょうぶ)……一般女官。【写真】
お付きの男性が日傘をさしかける。
女嬬(にょうじゅ)……女官の下に位する女性。
童女(わらわめ)……行儀見習で宮中に奉仕する小女。
斎王代(さいおうだい)……祭を奉仕する未婚の女性。【写真】
余談だが, この 「斎王代」というのは, 文字通り「斎王」の代わりをする人のこと。
(「斎王」とは, 生涯を神にささげるためにただ一人選ばれた,
未婚の内親王〈天皇の娘または 孫娘〉 )
元来 葵祭は 身分が高く汚れのない「斎王」が務めていたが,
現在は 「斎王」という制度が存在しないので,
京都に住む未婚の女性の中から「斎王代」が選ばれて務めるようになったという。
騎女(むなのりおんな)……斎王代の巫女(神事を司る女)で, 騎馬で参向する。【写真】
牛車(ぎっしゃ)……(上述)
牛車の大きな車輪の横を歩く男性の 冠には 葵の葉っぱが付けられているのが見える。
他の写真ではあまり判然としないが, 行列を行く 人・牛・馬などは すべて
“葵の葉”を飾りにつけている。このことが 「葵祭」の名前の由来となっている。
ちなみに, ここで使われる「葵」の正式な名前は「フタバアオイ」。
徳川家の「葵の紋」もこれと同じもの。
「ホテイアオイ」とか「ハナアオイ」というのは 別の品種。
参列者たちが清めの草として葵の葉を身につけるようになったのは
やはり平安時代から。
祭礼の当日, 上賀茂・下鴨両神社合わせて 1万本余のアオイが必要だそうで,
しかもやっかいなことに, 葵は採取してから長く保存できないため,
祭の数日前から前日までに一気に採取するのだそうだ。