発祥の地bannar
予科練誕生之地
 [よかれんたんじょうのち] 


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場所
神奈川県横須賀市浦郷町5丁目
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京浜急行の追浜駅から 東へ約2キロ。日産自動車の工場群の向かい側に「貝山緑地」があり, この入口から 坂を上って左手に 碑が建っている。

横須賀は 旧海軍の街。現在も 海上自衛隊の施設があるが, それよりも 米海軍の巨大な基地があることで有名。
この 貝山緑地は 向かいの日産自動車などの工場があるあたりを含めて, 旧海軍の航空基地だった。

「予科練誕生の地」碑のある場所の 道を挟んで向かい側の広場に, 「海軍航空発祥之地」碑と並んで 「海軍甲種飛行予科練習生 鎮魂之碑」 (通称「甲飛鎮魂の碑」)がある。
昭和5年に開設された 一般の予科練 (後に“乙種”と呼ばれた) が 高等小学校卒業程度の 15〜17歳の少年を対象にしたのに対して, “甲飛”は 中学4年程度の学力を持つ者を対象に「航空特務士官」の 速成教育を行うために開設した 一種のエリート養成制度である。
「予科練誕生の地」碑とは別の場所に わざわざ「甲飛」の碑を作るというのは, 今でもそのエリート意識が引き継がれているのだろうか。

海軍甲種飛行予科練習生 鎮魂之碑
     碑文
 昭和12年国際関係が悪化し国防が最重要視さ れる頃海軍では航空機の発達と共にいままでの大艦 巨砲主義から航空戦へと思考を変え航空機搭乗員 養成を急務とした。高度な飛行技術と強靱な肉体 を求められる搭乗員は心身ともに優秀な青少年を求 めた。ここに甲飛即ち海軍甲種飛行予科練習生制 度が誕生した。昭和12年9月1日全国の中等学 校から厳選された250名が第一期生として横 須賀海軍航空隊に入隊した。以後太平洋戦争の激 化に伴い最終の第十六期生まで13万9720名 もの青少年達が国を護るために各地の航空隊 の門をくぐった。しかし戦局の悪化により大空の 果て海原の底に散った甲飛の御霊は実に6778柱にのぼる。 その中の一人は次の歌を残して散華した。
      血潮もて茜と染むも悔ゆるなし
        雲を墓標の空の御楯は
 私達は国家危急の折救国の大義に殉じされた多 くの同窓の御霊の冥福を記念すると共に甲飛の歴 史の伝承とわが国の永遠の平和を念願してここ 甲飛発祥の地横須賀にこの碑を建立する。
     平成9年11月2日 甲飛生存者有志
          遺族, 一般賛同者有志

撮影日
2004年3月
碑文
予科練誕生之地

 光る海 明るい太陽の下 大空をこよなく愛し 国を想うひとすじの 少年たちが溌剌としてここに溢れていた
 昭和5年6月1日 横須賀海軍航空隊内の一隅に 海軍少年航空兵の 教育機関として 横須賀海軍航空隊予科練習部 が誕生し やがて 予科練 と愛称されるようになった
 志願者の年齢は15歳から17歳 修業年限は3ヶ年 俊秀なる 大空の有志は英才の早期教育に俟つとの観点に立って この制度は創設され 全国5900余名の志願者から厳選された79名が第一期生としてここに 入隊した 土浦 三重 鹿児島など のちには19を数えるに至った予科 連航空隊の萌芽である
 時局の進展につれて 海に臨み山を負うこの地は狭小となって 昭和14年3月 霞ヶ浦湖畔に移り 翌年独立して 土浦海軍航空隊となった
 予科練の歴史15年3ヶ月のうち 実に8年9ヵ月は ここ追浜の地で 教育活動が行われたのである そこで目指したものは鉄石の訓練をものとも せず 乾いた砂が水を吸いこむようにあらゆるものを純粋に受け入れて 自らを育てていった
 予感連を巣立った若人たちは 飛行練習生教程 実用機練成教育と 研鑚を重ねてたくましい若鷲と育ち 太平洋戦争に於ては 名実共に我が 航空戦力の中核となり 水陸の基地から 航空母艦から 戦艦 巡洋艦 或は潜水艦から飛び立ち 相携えて無敵の空威を発揮したが 戦局利 あらず 敵の我が本土に迫るや特別攻撃隊員となり 名をも命をも惜しまず 一機一艦必殺の体当たりを決行し 何のためらいもなく無限の未来を 秘めた蕾の花の生涯を祖国防衛の為に捧げてくれたのである
 顧みれば 少年たちは戦いを求めてこの地に集まったのではなく 制空 護国の一途の念いからであった 予科練誕生以来既に五十一星霜 若人 たちの至純の赤心が 祖国の安寧と世界平和の礎となることを祈念して 旧学び舎の丘の上にこの碑を建つ
    昭和56年6月1日
             此の地に学んだ生存者一同
                  撰文 倉町秋次
                  書  鈴木忠正

(説明板)
予科練とは海軍飛行予科練習生の略称
にして海軍少年航空兵とも別称す。
昭和5年6月1日第1期生入隊以来
昭和14年2月第10期霞ヶ浦に移るまで,
全国より選ばれたる少年此の地に集い学
び此の地を巣立ちて日夜猛訓練の中に
技倆を磨き,
やがて日支事変勃発するや中国の空に
第二次世界大戦においては南海の空にと
唯々国の為同胞の為にと信じて各地に
勇戦敢斗嚇々たる武勲を残して
その大多数が大空に散華す。
我々不思議に命永らえたる生存者一同
今は亡き同窓の英霊を偲びて,
思い出の此の地追浜神社跡に建碑す。
即ち予科練誕生之碑也
  昭和56年6月1日
     予科練一期生より十期生まで
             生存者一同

予科練誕生之地碑 甲飛鎮魂の碑
予科練誕生之地 碑
甲飛鎮魂の碑


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