予科練誕生之地 [よかれんたんじょうのち] 発祥の地コレクションは、新サイト https://840.gnpp.jp に移転しました。 | |||
場所 |
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コメント |
京浜急行の追浜駅から 東へ約2キロ。日産自動車の工場群の向かい側に「貝山緑地」があり,
この入口から 坂を上って左手に 碑が建っている。
横須賀は 旧海軍の街。現在も 海上自衛隊の施設があるが,
それよりも 米海軍の巨大な基地があることで有名。
「予科練誕生の地」碑のある場所の 道を挟んで向かい側の広場に,
「海軍航空発祥之地」碑と並んで 「海軍甲種飛行予科練習生 鎮魂之碑」
(通称「甲飛鎮魂の碑」)がある。
海軍甲種飛行予科練習生 鎮魂之碑 碑文 昭和12年国際関係が悪化し国防が最重要視さ れる頃海軍では航空機の発達と共にいままでの大艦 巨砲主義から航空戦へと思考を変え航空機搭乗員 養成を急務とした。高度な飛行技術と強靱な肉体 を求められる搭乗員は心身ともに優秀な青少年を求 めた。ここに甲飛即ち海軍甲種飛行予科練習生制 度が誕生した。昭和12年9月1日全国の中等学 校から厳選された250名が第一期生として横 須賀海軍航空隊に入隊した。以後太平洋戦争の激 化に伴い最終の第十六期生まで13万9720名 もの青少年達が国を護るために各地の航空隊 の門をくぐった。しかし戦局の悪化により大空の 果て海原の底に散った甲飛の御霊は実に6778柱にのぼる。 その中の一人は次の歌を残して散華した。 血潮もて茜と染むも悔ゆるなし 雲を墓標の空の御楯は 私達は国家危急の折救国の大義に殉じされた多 くの同窓の御霊の冥福を記念すると共に甲飛の歴 史の伝承とわが国の永遠の平和を念願してここ 甲飛発祥の地横須賀にこの碑を建立する。 平成9年11月2日 甲飛生存者有志 遺族, 一般賛同者有志 | ||
撮影日
| 2004年3月 | ||
碑文
| 予科練誕生之地
光る海 明るい太陽の下 大空をこよなく愛し 国を想うひとすじの
少年たちが溌剌としてここに溢れていた | ||
(説明板)
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予科練とは海軍飛行予科練習生の略称 にして海軍少年航空兵とも別称す。 昭和5年6月1日第1期生入隊以来 昭和14年2月第10期霞ヶ浦に移るまで, 全国より選ばれたる少年此の地に集い学 び此の地を巣立ちて日夜猛訓練の中に 技倆を磨き, やがて日支事変勃発するや中国の空に 第二次世界大戦においては南海の空にと 唯々国の為同胞の為にと信じて各地に 勇戦敢斗嚇々たる武勲を残して その大多数が大空に散華す。 我々不思議に命永らえたる生存者一同 今は亡き同窓の英霊を偲びて, 思い出の此の地追浜神社跡に建碑す。 即ち予科練誕生之碑也 昭和56年6月1日 予科練一期生より十期生まで 生存者一同 |
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