発祥の地bannar
無線電話発祥記念碑
 [むせんでんわはっしょうきねんひ] 


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場所
三重県鳥羽市鳥羽1丁目
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JR参宮線/近鉄鳥羽線の鳥羽駅から 南に250m。
駅の南側に 標高70mぐらいの 日和山(ひよりやま) がある。駅前の駐車場横から 日和山遊歩道に入り, 山道を上る。 山頂は展望台になっているが, その少し手前に「無線電話発祥記念碑」と刻まれた 大きな石碑が建っている。

無線による通信の歴史は, 1895(明治28)年 のイタリア人・マルコーニによる トンツー方式の “無線電信”技術の発明に始まる。
1906(明治39)年 カナダ人・フェッセンデンが 声と音楽が聞ける“無線ラジオ”を発明, 世界初のラジオ実験放送を行った。
日本で最初の無線電信は, 1908(明治41)年に銚子無線電信局からの 船舶無線開始にはじまる。

一方, 音声を電気信号に変換して これを再び音声に復元する技術は, “有線電話”によって確立していたが, 音声信号の伝送を無線で行う技術は, デンマークのプールセンによって アーク放電を利用した “無線電話機”が発明された(1903)。しかしこの方式は 安定した放電が得られず 実用化に至らなかった。
逓信省電気試験所の技師・鳥潟右一博士と 共同研究者の横山英太郎・北村政治郎技師は, 1912(明治45)年 安定したアーク放電を得られる技術を開発し, 周波数 数十KHzの電波による 無線電話機を発明。鳥潟/横山/北村 の頭文字をとって「TYK無線電話器」と命名された。
1914(大正3)年 鳥羽と神島・答志島 (いずれも 伊勢湾の入口にある島で, 鳥羽からの距離は それぞれ 約5km/15km) との間で 世界最初の無線電話による双方向通話実験が行われ, 1916(大正5)年には 公衆通信用として 実用に供された。
しかし 同時代に発明された真空管による無線通信技術が急速に進み, TYK式無線電話は普及することなく 短命に終わった。

余談だが, 鳥潟博士は TYK無線電話機の実用化の後, 1920(大正9)年に 38歳の若さで逓信省電気試験所の所長となり, 現代の通信技術の基礎となる数々の研究実績をあげたが, 1923年に 他界している。
この記念碑は NTT(当時:電電公社)によって 1961(昭和36)年に建てられた。

撮影日
2008年5月 (写真提供 K.T.さん)
碑文
無線電話発祥記念碑
     日本電信電話公社総裁 大橋八郎書

     昭和36年12月 日本電信電話公社 東海電気通信局

(説明板)
    無線電話発祥のいわれ
 明治36年(1903年)ドイツのプールセンにより電弧を利用した無線電話が発明されましたが, わが国でも逓信省電気試験所の鳥潟右一技師等が研究を進め, 明治45年3月(1912年)ついに鉱石受信機等を利用した世界最初の無線電話送受装置を完成させました。
 そして大正3年12月(1914年)には, 鳥羽〜答志島〜神島間の連絡用として世界ではじめて実用化に成功し, 名古屋, 四日市両港に出入する船舶の公衆用通信にも使われました。
 この無線電話は, 特殊電極と直流を使用する火花式発振器および, 簡易な鉱石受信機とを組合わせたもので, 発明者鳥潟右一, 横山英太郎, 北村政治郎三氏の頭文字をとり T.Y.K.式無線電話と名付けられました。イタリア人マルコニーが明治28年(1895年)に電波式無線電信を発明して以来世界中の通信研究者がこぞって無線電話の実現に努力していただけに T.Y.K.式無線電話の実用化は世界の通信界を驚嘆させました。
 わが国の電信電話は今やすばらしい発展をとげ国民生活にとって欠くことのできないものとなっていますが, それもこれら先覚者等の努力の結果といえましょう。
                        日本電信電話公社

無線電話発祥記念碑
 無線電話発祥記念碑
無線電話発祥記念碑 説明板
 同・説明板   

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