九段下交差点のすぐ南, 旧・千代田区役所の前庭, 向かって右手の植込みに隠れるように
背の低い古びた石碑が建っている。
かつて このあたりは 九段精華女学校と愛国婦人会本部があり,
愛国婦人会の創立者 奥村五百子 の銅像があったと言われるが,
今は 代わりにこの碑が立てられている。
愛国婦人会は 日清戦争の後の 1901(明治34)年に,
戦死者の遺族や傷痍軍人の救護・慰問などを目的に 作られた。
設立に当たっては 貴族院議長・近衛篤麿らの援助があり, 歴代の総裁には
皇族の妃が勤め, 全皇族を名誉会員として 上流階級の婦人多数の会員を擁した。
その後 大日本国防婦人会・大日本連合婦人会 などができたが,
1909(明治42)年には 3つの団体は 大日本婦人会に統合され,
在郷軍人会とともに 銃後を固める組織として 軍事援護に力をつくした。