日本労働組合運動発祥之地 [にほんろうどうくみあいうんどうはっしょうのち] 発祥の地コレクションは、新サイト https://840.gnpp.jp に移転しました。 | |||||
場所 |
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コメント |
JR東北新幹線の八戸駅から南西に300m。
八戸駅前にユートリー(八戸地域地場産業振興センター)と,その奥に駅前立体駐車場がある。駐車場敷地内の左隅に“U”の字をかたどった石碑があって「日本労働組合運動発祥之地」と刻まれている。
明治中期,現在のJR東北線・常磐線などは“日本鉄道会社”の所有で,1万人を超える社員を擁する日本最大の鉄道会社だった。この日鉄の“機関方”(蒸気機関車を運転する職種)が待遇改善を要求するストライキ“日鉄機関方争議”を起こした。1898(明治31)年のことである。
日本鉄道は,この争議の8年後の1906(明治39)年に国有化され,国鉄に吸収された。 | ||||
撮影日
| 2014年7月 (写真提供 T.H.さん) | ||||
碑文
| 日本労働組合運動発祥之地 日本機関方同盟罷工記念碑 一九九八年二月二十四日 百周年記念式典挙行 全日本労働組合発祥百周年記念事業実行委員会 記念大会長 島守光雄 実行委員長・三上秀光 二〇〇二年九月五日 建之 碑文 一八九八年(明治三十一)二月二十四日,当時最大の鉄道会社である「日本鉄道」の尻内(現八戸)機関庫から,機関方(機関士)らによる同盟罷工(ストライキ)が発生し一日を経ずして東北,関東の全線全機関庫に広がった。 この罷工を指導した中心人物は,尻内機関庫の機関方石田六次郎であった(石田は後に復職,一九一九年知内の区長歴任), この争議は,日清戦争後続発した争議の中で最大規模のもので,日本労働運動史上初めて労働者側の全面勝利に終ったこと,争議後に機関方らは日本で初めての本格的な単一労働組合「日鉄嬌正会」を組織したことからも,画期的なできごとであた。 また,この罷工の最大の意義は,労働運動だけでなく,日本社会の近代的発展に大きな影響を与えたことにある。 石田六次郎は次のように喝破する。「実業界に改新を与え,全国無数の団体に新空気を送り,またこれと同時に識者を覚醒し,直接間接 国家の裨益少なしとせず。これらの美挙を永遠に伝う,決して無益にあらず。」(「我党待遇期成大同盟会一ノ関支部記事」序,石田六次郎述 明治三十一年四月) | ||||
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