発祥の地bannar
下原刀鍛冶発祥の地
 [しもはらとうかじはっしょうのち]


場所
東京都八王子市下恩方町
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JR中央線・八王子駅から 西へ約10km。陣馬街道の“川原宿”交差点から “山田宮の前線”“モリアオガエルの道”を経て, “辺名”バス停のすぐ前に この新しい石碑が建っている。

バス停のすぐ西側は 圏央道の立体交差工事が行われていた。
圏央道は 東京の中心部から40〜60kmの位置を 環状につなぐ 延長300kmの自動車専用道路で, まだごく一部しか開通していないが, この付近は ようやく一部分の工事が始まった。

下恩方町には この碑とは別に「下原刀匠康重鍛刀の地」と 「下原刀匠山本但馬国重鍛刀の地」という2つの碑がある。(この碑から1kmほど東)
下原鍛冶の一門である 国重と康重の二人が それぞれ鍛刀した場所として, いずれも 八王子市の史跡に指定されている。

市指定史跡 下原刀匠山本但馬国重鍛刀の地

山本但馬国重は 山本康重家より元和3年(1617)に分家したと伝えら れ 徳川氏の鍛冶を勧めるにおよび 除地一町五畝を賜わり 苗字帯刀麻 裃の着用を許された下原鍛冶一門の刀匠である
次代は但馬掾を受領 その後代は刀銘に但馬守を冠し藤原と名のり 国 重と刻した九代に亘り鍛刀し多くの刀工を育成して大いに栄えた
  昭和52年11月5日        八王子市教育委員会
                 山本国重顕彰碑建設実行委員会

市史跡 下原刀匠康重鍛刀の地

下原刀匠の祖周重が 永正(1504〜1520)の頃 ときの領 主大石氏の招きに応じ 下恩方町辺名の地に来て鍛刀してい たが その後 隣接下原の地に移り 以来代々 「内記康重」 と名のってこの地で鍛刀し 後 徳川氏より除地四丁八反を 受け 苗字 帯刀 麻裃着用を許され 下原鍛冶山本一族の宗 家として 多くの刀工を育成したと伝えられる
    昭和43年3月31日
        八王子市長 植竹圓次
        八王子市文化財専門委員会
          管理者 山本康臣

撮影日
2004年4月
碑文
市史跡 下原刀鍛冶発祥の地

下原刀は, 永正の頃(1504〜1520)ときの領主大石氏 の招きに応じ, この地にきて, 鍛刀した周重と名のる刀匠 を祖とする。のち, 隣接の地, 恩方下原に移り, 北条氏な らびに徳川氏の庇護をうけ, 以来一族十家に繁栄し, その 作刀は全国に流布され, 独特の鍛練法による下原肌なる作 風を示して, 数多くの名刀を残している。
指定 昭和43年3月2日
    昭和43年3月31日  八王子市教育委員会

下原刀鍛冶発祥の地 圏央道の立体交差
下原刀鍛冶発祥の地 碑
圏央道の立体交差工事中

下原刀匠康重鍛刀の地碑 下原刀匠山本但馬国重鍛刀の地碑
下原刀匠康重鍛刀の地 碑
下原刀匠山本但馬国重鍛刀の地 碑