発祥の地bannar
日本通貨発祥の地
 [にほんつうかはっしょうのち]


場所
埼玉県秩父市黒谷
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秩父鉄道本線・黒谷駅の東方 約500m。駅に向かい合う“和銅山”のハイキングコースの 登り口付近に, 日本最初の貨幣といわれる「和同開珎」をかたどった高さ4〜5mもある 大きな記念碑が建ち, 「日本通貨発祥之地」と書かれている。

奈良に都が遷される前, 国力を富ませるためには 金銀銅などの鉱物資源が必須であると認識し, 鉱物の発見することを全国民に奨励した。
天皇は 新羅からの渡来人で 鉱業の知識を持った金上旡(こんじょうむ)等を各地に派遣し, 秩父・黒谷のこの地で 和銅(純度が高く精錬を必要としない自然銅)を発見した。 報告をうけた朝廷は, 年号を和銅と改め(西暦708年), 貨幣(和同開珎)を発行した。
(2年後には 平城京への遷都が行われた。)

この「通貨発祥の地」の意味は 「和同開珎の材料である 和銅がここで産出された」 ことを記念したもので, 「和同開珎の鋳造がここで行われた」ということではないらしい。
和同開珎の鋳造場所については, 京都・加茂町に「銭司和同開珎鋳造遺跡」が, 下関市長門にも「和同開珎鋳銭所址」があり, また「河内鋳銭司」という官位もあったようで, 各地に分散していたのか 時代によって移り変わったのか はっきりしない。

和同開珎は 直径約24mmの円形の貨幣で, 中央には約7mmの正方形の穴が開いている。 表面には 「和同開珎」の文字が表記され 裏は無紋。 この形式は 唐の国で発行されていた「開元通宝」を模したものといわれ, 現在の貨幣価値に換算すると 1000円ぐらいだったのではないかと思われる。

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撮影日
2006年3月 (写真提供 T.K.さん)
碑文
日本通貨発祥の地

埼玉県指定文化財旧跡  和銅遺跡

 秩父が史上で有名になったのは奈良時代に和銅奉献の記事が続日 本紀にあらわれてからであります。
 元明天皇の慶雲5年正月12日, 武蔵国秩父郡内より差出された 自然銅は, 郡司から朝廷に献上されたものです。発見者は新羅から 帰化した「金上旡」と云われております。
 発見地や産出地などは諸説がありますが, この地(秩父市黒谷地 内……旧原谷村大字黒谷)祝山が発掘の地と思われます。この山 は秩父古生層と第三紀層のあわさり目で, たまたま自然銅が地上に 露出したものを里人が見つけたものですが, 帰化人も多く住んでい たことからこれが銅とわかったもののようです。この山や附近には 露天掘跡や銅洗堀とか, 殿池・和銅山と云う地名が残されておりま す。
 又, 近くに自然銅を神体とする聖神社や, 和銅宝物館などがあり ます。和銅山の南方山続きに金山と呼ばれる一連の山塊があります が, 江戸期に採掘されたと思われる銅の選鉱場・精錬所跡・散在す るタガネ掘りによる横穴坑などがありますが, 和銅沢・蔵人屋敷の 地名もこのあたりにのこされております。
 和銅奉献によって朝廷は年号を和銅と改め, 更に大赦や課税の免 除など行いました。この後我が国最初の貨銭「和同開珎」が鋳造 されたのも歴史上非常に意義深い出来事であります。
    昭和36年9月1日指定
            埼玉県教育委員会
            秩父市教育委員会

日本通貨発祥の地碑
 日本通貨発祥の地 碑
和銅遺跡 碑
 和銅遺跡 碑

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