吾が野田生の教育はこの地に発祥す [わがのだおいのきょういくはこのちにはっしょうす] 発祥の地コレクションは、新サイト https://840.gnpp.jp に移転しました。 | |||||
場所 |
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コメント |
JR函館本線の野田生駅から 北東に500m。
国道5号(大沼街道)から少し南に入ったところに,天理教茅部分教会の立派な建物がある。 教会の入口に 高さ2mほどの白っぽい石碑が建っている。 野田生(のだおい)という地名は,野田追川河口付近が複雑な地形をしていたため,“頬のいくつかある場所”の意味の アイヌ語「ノタ・オ・イ」から出ている。「ノタオイ」は 川の名になり,川を境とする「野田生」「野田追」 という二つの地区名になった。いずれも「ノダオイ」であってまぎらわしかったためか, 1970(昭和45)年に 「野田追」が「東野」と改められた。
八雲町は 1878(明治11)年に,旧尾張藩の徳川家が付近一帯の土地を取得して 旧藩士を送り込み,
本格的に開拓を進めた。 この碑は 野田生小学校の創立80年を記念して 1987(昭和57)年に建立された | ||||
撮影日
| 2009年4月 | ||||
碑文
| 大柏野簡易教育所跡地 吾が野田生の教育はこの地に発祥す 自明治卅五年八月廿三日 至同四十三年十二月十九日 野田生小学校創立八十周年祝賀協賛会 昭和五十七年十月卅一日建立 八雲町長 北口 盛 書 | ||||
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