遠野教育発祥の地 [とおのきょういくはっしょうのち] 発祥の地コレクションは、新サイト https://840.gnpp.jp に移転しました。 | |||||
場所 |
| ||||
コメント |
JR釜石線の遠野駅から 南に500m。 市立図書館/博物館の向い側に 盛岡地方裁判所遠野支部がある。裁判所の前に「信成堂跡(江刺県庁舎)」という碑と並んで 「遠野教育発祥の地」と刻まれた石碑が建っている。
遠野の町は,1189(文治5)年に 源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼした後に,阿曽沼広綱が遠野十二郷の地頭職に任じられ, その後450年にわたり遠野を支配して栄えた。阿曽沼氏滅亡により 1627(寛永4)年 南部直義氏が横田城に入城。遠野南部氏の城下町として240年間, 遠野郷の政治・経済・文化の中心地として繁栄した。
教育面では, 藩政時代には“信成堂”という藩校があったが, 1871(明治5)年に学制令が発布されると, 翌年には遠野地方で最初の公立小学校として大工町瑞応院に「横田村第一番小学校」が開設された。当時 岩手県内で文部省が認可した小学校は 3校のみであった。生徒は6〜12歳で, 授業料は貧富の差により 2銭から25銭の幅があった。 撮影日
2008年10月 (写真提供 T.H.さん) |
移転先 http://840.gnpp.jp/tonokyoiku/
(C)発祥の地コレクション All rights reserved.
無断転載禁止