渋谷区近代学校教育発祥の地
[しぶやくきんだいがっこうきょういくはっしょうのち]
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場所 |
東京都渋谷区渋谷2丁目
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コメント |
JR/東急の渋谷駅(東口)。駅前の歩道橋の陰に 渋谷区の建てた碑がある。
植込みの中に埋もれて ほとんど忘れ去られた状態になっており,
誰も気づかずに通りすぎる。
1872(明治5)年 渋谷区で初の小学校が開設された。正確な場所は
渋谷駅前の 東急文化会館 およびその前のバスターミナル付近と言われる。
後に 渋谷消防署の近くに移転し 渋谷区立渋谷小学校となったが,
学童数の減少により 近くの他の2つの小学校と統合され,
1997(平成9)年に 神南小学校となった。
東急文化会館も 2003年に閉鎖され, 近い将来 東急・地下鉄の駅に生まれ変わると言われる。
変遷が激しい地域である。
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2004/3追加 |
最近 ここを通りかかったら, 以前とは歩道橋周辺の様子が変わっていて,
発祥碑は 歩道橋の脇に建っていた。
以前は 碑の存在を知っている人が探し回って ようやく見つけられる場所だったが,
現在は 放置自転車に取り囲まれているが,
歩道橋の横に 誰にでも見られるようになった。
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撮影日
| 2002年3月, 2004年4月 |
碑文
| 渋谷区近代学校教育発祥の地 渋谷区渋谷2丁目
このあたりには, かつて渋谷川が流れ, その水を利用して
水車がまわっていました。
明治5(1872)年に学制が公布されたとき, 中渋谷村では
三井八郎右衛門, 森島伝兵衛, 野口清右衛門の3人が中心となって,
この付近の人びとから建築資金を集め, 成富清風の提供した
中渋谷2番地(明治通りと宮益坂の接するところ) の1,388平方メートル
(1反4畝)の土地に かやぶき平屋建て69平方メートル(21坪)の校舎が
建築されました。
明治8年3月15日に 新学制により開校した当時は,
学制にもとづき 第一大学区第三中学区第十九番渋谷学校という名で,
先生は3人, 生徒は84人であったといい, 渋谷区地域に初めてつくられた
公立の小学校です。
ところが現在と違い 公費は少ししかもらえないので, 学校の経費は
ここにあった三井八郎右衛門の水車の利益金でまかなったといいます。
なお, その小学校は 東京都渋谷区立渋谷小学校 と名が変わっておりますが,
現在渋谷区のもつ文教区的性格は この明治8年にはじまりました。
東京都渋谷区教育委員会
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