近代教育発祥の地
[きんだいきょういくはっしょうのち]
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場所 |
東京都文京区湯島1丁目
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コメント |
JR 中央線・お茶の水駅の東口から 北に渡る「聖橋」の北端に この碑が建っている。
聖橋は 神田川・JR 中央・総武線の線路・外堀通り を越えて,
神田駿河台と 湯島方面を結ぶ橋で,
関東大震災後に架橋された 美しい橋である。
現在この場所は, 東京医科歯科大学(附属病院)となっているが,
道路を挟んだ向かい側は 湯島聖堂である。
かつて 湯島聖堂(昌平黌)は 道路のこちら側にも続いていたようで,
明治期以降に この地に設立された学校から,
東京大学・東京教育大学・お茶の水女子大学 などに発展していった。
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撮影日
| 2000年4月 |
碑文
| 近代教育発祥の地 (湯島1-4-5)
(東京医科歯科大学)
江戸時代, 学問(儒学)の府であった聖堂(孔子廟)の一部, 昌平黌跡である。
寛政9年(1797) 現在地に学寮, 宿舎が建てられ, 旗本の子弟や 全国から藩士の子弟が
青雲の志を抱いて集まった, 昌平坂学問所である。
明治維新後, 政府に引継がれ, 昌平学校, 大学校, 東京大学と発展していった。
明治5年(1872)に文部省が誕生し, 我が国学校教育の原点となった。
明治7年 師範学校が設置され, この地に 後の 東京高等師範学校,
東京女子高等師範学校 が置かれたが, 前者は 明治36年大塚窪町に移転し,
後に東京教育大学(現筑波大学)となり,
後者は 昭和7年大塚に移転し, 後に新制大学として発足の折, この地名を校名に冠し,
お茶の水女子大学 と称し現在に至っている。
東京都文京区教育委員会 昭和63年3月
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近代教育発祥の地 碑 (背後は東京医科歯科大学)
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聖橋
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