我国西洋歯科医学発祥の地 [わがくにせいようしかいがくはっしょうのち] 発祥の地コレクションは、新サイト https://840.gnpp.jp に移転しました。 | |||||
場所 |
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コメント |
横浜中華街の 関帝廟から南に進むと, 神奈川県駐労会館の前に 赤茶色の石碑が建っている。
横浜開港の2年後, アメリカ人歯科医 イーストレーキが
博物学者として東洋の昆虫採集のため来日し,
生活の手段として 横浜に歯科診療所を開設した。
治療活動のかたわら 日本人歯科医師の育成にも努力した。 | ||||
(2004.7 追加)
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この発祥の地碑の 北東約500メートルの場所に,
「西洋歯科医学勉学の地」という記念碑がある。 イーストレーキとは別に, セント・ジョージ・エリオットは, 1870(明治3)年に この地で歯科診療所を開業, 後任の ハラック・マーソン・パーキンスは 多くの日本人に 歯科医学の指導を行った。 この時代には 多くの外国人が 日本に近代医学・科学を 日本にもたらしたことがわかる。
西洋歯科医学勉学の地
エリオット博士は, 居留地57番のこの地に歯科診療所を明治3年
より同7年まで開設し, 外国人の歯科診療に従事するかたわら, 木戸孝
允, 新島襄, 西郷従道を治療し小原英之助, 佐治駿を門下生とし指導さ
れました。
平成7年5月吉日
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撮影日
| 1999年11月 | ||||
碑文
| 我国西洋歯科医学発祥の地
ここは, 万延元年(1860年) 歯科医師として最初に来日した
米国人ウイリアム・クラーク・イーストレーキ博士が, 来浜三度目の
明治14年に歯科診療所を開設したゆかりの地である。 | ||||
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