日本最初の開港地 [にほんさいしょのかいこうち] 発祥の地コレクションは、新サイト https://840.gnpp.jp に移転しました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
場所 |
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東急・下田駅から南に約1km。
稲生沢川が下田港に流れ込む川河口部に下田公園がある。その入口付近に,ペリー提督の像と並んで「日本最初の開港地」と書かれた碑がたっている。
幕末の 1854(安政元年)に江戸幕府とペリーとの間で締結された日米和親条約の結果,箱館とともに下田港が開港され,7隻のペリー艦隊はここに入港して,上陸の第一歩を記した。 「日本最初の開港地」碑の裏側には「ペリー上陸の碑」として,次のように書かれている。
ペリー上陸の碑
嘉永七年(安政元年−1854)再来したペリーと幕府の間でもたれた日米和親条約の交渉課程で,開港地として下田港が提示されると,ペリーは調査船を派遣した。下田港が外洋と接近していて安全に容易に近づけること,船の出入りに便利なことなど要求している目的を完全に満たしている点にペリーは満足した。条約締結により即時開港となった下田に,ペリー艦隊が次々と入港した。そして,ペリー艦隊の時乗組員が上陸したのが,下田公園下の鼻黒の地であった。ここを上陸記念の地として,「ペリー上陸の碑」が建てられた。 この記念碑のペリー像は,故村田徳次郎氏の作品であり,記念碑の前の錨は,アメリカ海軍から寄贈されたものである。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
撮影日
| 2010年1月 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
碑文
| 日本最初の開港地
ここが,ペリー提督とその乗組員達が最初に 上陸した地点です。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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