発祥の地bannar
上田五十騎発祥之地
 [うえだごじゅっきはっしょうのち]


場所
新潟県南魚沼市坂戸
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JR上越線の六日町駅から 東南東に 1.5km。
坂戸山の麓に 国の史跡・坂戸城跡がある。城跡を示す標石の隣に「上田五十騎発祥之地」と刻まれた小型の石碑が建っている。

上田城は南北朝時代に上田長尾氏の本拠となり,戦国時代に房長・政景が出て強豪となった。当時 府中(現・上越市)の春日山城には長尾景虎(後の上杉謙信)がいて対立したが,政景が景虎の姉(仙桃院)と結婚することで協調関係ができた。
景虎は 政景の死後,その子顕景(後の上杉景勝)を養子とし,坂戸城は春日山城の番城となり,1598(慶長3)年に上杉氏が会津に転封されるとともに堀氏が入り,堀氏が飯山に転封されるに伴って廃城となった。
坂戸城跡には城主館と家臣団の屋敷跡などが残り,その背後の坂戸山には大規模で堅固な山城の遺構が残っている。

上杉景勝と重臣・直江兼続は,この坂戸城に生まれ育った。
景勝は“御館の乱”で景虎を倒して上杉家の後継者の地位に就いたが,そこで景勝派の主力となったのが“上田衆”と呼ばれる家臣団で,兼続ももとは上田衆の一人であった。
上田衆のルーツは上田長尾氏の家臣団にある。それが長尾政景の死後 謙信の家臣となり,謙信の軍のなかでも最強として恐れられる存在になっていった。上田衆は当初 坂戸城下に住み,平時は使用人たちを働かせて農業経営を行った地主であり,同時に いざ戦争という時には武器を持って 最前線に立った。
御館の乱が起きると,景勝はそれまで景虎がいた春日山城を占拠したが,その入城の際に城門を守ったのが上田衆であった。そうした上田衆の中でも 特によく知られているのが,春日山入城の際に選ばれた五十人の精鋭たち「上田五十騎衆」である。
御館の乱で景勝が勝利すると,政権は上杉一門,国衆,謙信旗本と上田衆が支えるようになり,なかでも上田衆は政権の中枢をになう存在となった。景勝の腹心の直江兼続は 上田衆の樋口家の出身であり,大きな力を持つようになった。

上田城入口の駐車場には,次のような上田城の解説が掲示されている。

国指定文化財
  史跡  坂戸城跡

南魚沼市は,古来魚野川流域の中心地で,交通・軍事上の要地であった。南北朝動乱後,上田長尾の本拠となり,戦国時代には房長,政景が出て強豪となり,春日山城の長尾景虎(後の上杉謙信)と対立するに至った。景虎はこれを屈伏させ,やがて政景が死ぬと,その子(景勝)を自分の養子とし,坂戸城を掌中にした。
以来坂戸城は春日山城の支城となったが,慶長3年以後,堀直寄が在城した。下坂戸集落東方傾斜面の杉林の中に,城主の館や,家臣屋敷の跡が残り,またその背後の坂戸山(634m)には,大規模で堅固な山城遺構が残っている。
昭和54年3月12日,国の文化財に指定された。
            南魚沼市

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撮影日
2010年11月 
碑文
上田五十騎発祥之地


 
上田五十騎発祥之地碑 坂戸城跡碑
上田五十騎発祥之地碑 と
坂戸城跡碑 と 上田五十騎発祥之地碑

坂戸城跡 説明板
坂戸城跡 説明板  .

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