発祥の地bannar
直利音頭発祥の広場
 [なおりおんどはっしょうのひろば]


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場所
栃木県日光市足尾町赤倉
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わたらせ渓谷鉄道の間藤駅から北北西に200m。
渡良瀬川に架かる古河橋の手前横に,間口20〜30m,奥行10mほどの小公園(広場)がある。この広場に「直利音頭発祥の広場」と書かれた説明板が建っている。説明板の後ろは渡良瀬川である。

「直利音頭」は,独特の節まわしと踊りを持つ 足尾地方の盆踊り歌で 。歌詞は鉱山町らしい味わいがあり,踊り方は 鉱山の選鉱作業を模した比較的単純なもので,初めての人でも容易に覚えられ 親しみやすい。現在でも夏の盆踊りに受け継がれている。
足尾では もともと“八木節”が盆踊り歌として歌われていたが,畑中清等が 以前から足尾にあった 女性たちの仕事歌を採り入れて盆踊りに転用したのがはじまりといわれる。そのいきさつは 下記の碑文に説明されている。

足尾では質・量ともに良質の銅の鉱脈のことを「直利」と呼んでいた。
足尾銅山は,1877(明治10)年に 古河市兵衛が再開発に着手し,1881(明治14)年に 鷹之巣抗で直利を発見,1884(明治17年には本口抗で大直利が発見され,これ以来 日本最大の銅山に発展していった。
なお「直利」という用語は 日本各地にある銅山で共通に使われていた様子はなく,足尾とその他わずかな地方(たとえば,秋田県の尾去沢銅山)でのみ使われていたように思われる。

撮影日
2010年10月 (写真提供 T.H.さん)
碑文
足尾銅山 盆踊り
 直利音頭 発祥の広場

 この広場で,大正13年(1924)に赤倉町務会が「八木節」をはじめたことがきっかけであろうか。時に,足尾銅山労働大争議(大正8年・10年)で荒れた後でもあり,文化・スポーツの振興に気運が高まる中,本山坑勤務の畑中清(舟石出身)・堺正高(フランキー堺の父)等が,銅山に相応しい盆踊り唄を作ろうと,同年から毎年歌詞を募集し当選歌を社内報で発表した。お囃子,振付けも創作され,昭和2年(1927)頃に「直利音頭」に変えて踊るようになり,足尾の盆踊りとして定着し全山で盛大に行われた。しかし,この広場での盆踊りは平成8年を最後に思い出を残して幕を閉じた。
   *直利:銅鉱を多量に含んだ良質の鉱脈

 ハァー
   花の渡良瀬
   (アーヨーイヨイと)
   青葉の小滝
 サー
   月の眺めは
 チョイトサ
   備前楯
   (ハ スッチョイ
     スッチョイ
      スッチョイナ)

   天の岩戸も 踊りで開く
     銅山(やま)の直利も 踊りゃ出る

   山は三角 やぐらは四角
     踊れ兄弟 まんまるく

   わたしゃ足尾の 坑夫の女房
     坑内を恐がる 子は産まぬ

   銅山の友子の どこ見てほれた
     腕と度胸と 直利歌

   運と鈍とで 開いた足尾
     根で張り切りゃ 大直利

      (150程の歌詞のうち代表的なもの)
日光市


 
直利音頭発祥の広場説明板
 直利音頭発祥の広場 説明板
 背後の建物は 川向こうの鉱山施設

直利音頭 発祥の広場
 直利音頭 発祥の広場

渡良瀬川に架かる古河橋
 渡良瀬川に架かる古河橋

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