発祥の地bannar
雪山讃歌発祥の湯   [ゆきやまさんかはっしょうのゆ] 


場所
群馬県吾妻郡嬬恋村
コメント
JR小海線・しなの鉄道の小諸駅の北 約10km, JR吾妻線 大前駅からだと 南西に約10km。 群馬県の西のはずれにあたる 鹿沢温泉。
小諸方面から 鹿沢温泉に向かい, 湯ノ丸高原(地蔵峠)を 群馬県側にくだって 最初の左カーブの外側に「雪山讃歌発祥の湯・紅葉館」の案内看板<写真(1)>が見られる。
また この看板から北に2kmぐらい行くと, 「雪山讃歌のおこり」を記した石碑 <写真(3)> と 「雪山讃歌」の歌詞を記した石碑(下記) <写真(4)> が建っている。
“発祥の湯”紅葉館は この石碑の少し南, 道の東側にある。 (地図上の「旧鹿沢」の「旧」の字のあたり) 地図には 紅葉館は道の西側にあるように書かれているが 誤り。
   雪 山 讃 歌
       西堀栄三郎 作詩

雪よ岩よ われらが宿り
  俺たちゃ 町には
    住めない からに

山よ さよなら
  ごきげん よろしゅう
    また来る時には
      笑って おくれ

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撮影日
2005年8月  (写真提供 H.O.さん)
碑文(1)
雪山讃歌発祥の湯

上州旧鹿沢温泉 内湯湯本
  紅葉館 まで 2.9km
碑文(2)
雪山讃歌のおこり

大正15年1月京都帝国大学の山岳部が鹿沢温泉でスキー合宿され た。合宿が終ってから後に第1回南極越冬隊長をされた西堀栄三 郎氏, 京大カラコラム遠征隊長となった四手井綱彦氏, アフガニ スタン遠征隊を勤めた酒戸弥二郎氏, 並びに東大スキー部OB で のちにチャチャヌプリ遠征隊長をされた渡辺漸氏の4名にてスキ ーで新鹿沢へ下って宿泊されたが 翌日天候が崩れ宿に閉じ込めら れた。
一行は, 退屈まぎれに「山岳部の歌」を作ろうと言う事に なり, 曲をアメリカ民謡「いとしのクレメンタイン」とし これに 合せて皆で上の句, 下の句と持ち寄って作り上げたものであると 言う。
戦後京大山岳部員が当時の資料に記載されていたこの歌を 寮歌に加え歌われ始めたのが 急激に一般にも愛唱されるようにな ったが, 作者不詳となっていたものを作詩の状況を知った, 京大 教授, 桑原武夫氏が作詩は西堀だと著作権の登録をされたもので, この印税は同山岳部の活動の大きな資金源となっていると言う。
「雪よ岩よ」で山を愛するものに親しまれているこの歌こそ 粉雪 舞う鹿沢温泉角間峠付近にぴったりで有り, その自然は今も昭和 初期と全く変わっていないと思う。
今回地元でこれを記念し「雪山 讃歌の碑」として台字を西堀氏直筆にて鹿沢温泉に建立した。
    昭和57年4月
            群馬県吾妻郡嬬恋村

雪山讃歌発祥の湯 紅葉館
(1)“雪山讃歌発祥の湯”看板
(2)紅葉館
雪山讃歌のおこり碑 雪山讃歌碑
(3)雪山讃歌のおこり 碑
(4)雪山讃歌 歌碑


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