発祥の地bannar
島村教会発祥の地
 [しまむらきょうかいはっしょうのち]


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場所
群馬県伊勢崎市境島村
コメント
JR高崎線の岡部駅から北に6km。
伊勢崎市と埼玉県本庄市との境界近くに菅原神社があって、その向かい側(東側)に“田島弥平旧宅”がある。田島旧宅の西南の角に「島村教会発祥の地」と書かれた、高さ30cm(?)ほどのごく小さな黒い石碑が建っている。

島村教会は、発祥碑のあるこの地から1kmほど東 にある日本基督教団の教会。現在は教会に隣接して“島村めぐみ保育園”が併設されている。

島村地区は、かつて蚕種(蚕の卵)の一大生産地で国内販売はもちろんのこと、明治初期には遠くヨーロッパにも輸出していた。
1972(明治5)年、日本で初めての会社である“島村勧業会社”が設立され、良質な蚕種を海外に輸出し高い評価を得た。1879(明治12)年に島村の田島善平は、島村勧業会社から田島弥平とともにイタリアのミラノに派遣され、蚕種の直輸出を始めた。直輸出は1883年まで4度試みられたが、赤字続きで目立った成果を挙げるには至らなかったが、外国との直接交流は島村にキリスト教や自由民権思想を広めることに貢献した。
1886(明治19)年、アメリカからメソジスト教マックレーを自宅に招いて最初の伝道集会を開き、自らキリスト教の洗礼を受け信者となり、翌年には自宅の小屋を改造して教会を造り、1987(明治30)年東(教会の現在地)に教会堂を建設して移転し「日本メソジスト島村教会」となり、その後「日本基督教団島村教会」と改称された。
建物は木造一部2階建。1階の礼拝堂の内部は建設当時のままで、明治の西洋建築の様式を見ることができる。

“田島弥平旧宅”は、2013年に『富岡製糸場と絹産業遺産群』として世界遺産に登録された、“清涼育”と呼ばれる養蚕技術を確立し養蚕農に大きな影響を与えた人物の住宅である。
現存する田島弥平旧宅の母屋は総二階建てで間口約25m、奥行き約9m。屋根には“総ヤグラ”と呼ばれる形式の風通し窓が設けられている。
この形式の建物は、田島弥平が確立した“清涼育”養蚕法を実践したもので、当時の養蚕民家建築の原型となり全国に普及した。現在も田島弥平の子孫が暮らしており、代々保存に尽力している。

撮影日
2014年8月 (写真提供 H.O.さん)
碑文
島村教会発祥の地


 
島村教会発祥の地碑
島村教会発祥の地 碑
田島弥平旧宅 正門
田島弥平旧宅 正門
現在の島村教会
現在の島村教会


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