京西学校発祥之地 [きょうさいがっこうはっしょうのち] 発祥の地コレクションは、新サイト https://840.gnpp.jp に移転しました。 | |||||||
場所 |
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コメント |
東急・田園都市線の用賀駅から南西に300m。
用賀駅から旧大山街道沿いに瀬田の交差点に向かうと, 途中西側に 延命地蔵がある。 延命地蔵尊の向い側の歯科医院前に 赤褐色の石碑が建っている。 道路に面する側に「京西学校」,反対側には「京西学校発祥之地」と刻まれている。
「東京府荏原郡公立京西学校」がこの地に創立されたのは 1879(明治12)年。“京西”という名前は,
当時内務卿だった伊藤博文が“東京の西に出来た学校”という意味で命名したという。
300坪の敷地にわずか50坪の平屋・ワラ屋根・障子の建物で,職員室と教室が一つという小さなものだった。
この発祥碑が建っている場所から 北側の道路を30mほど東に入ったところに,
「旧京西小学校跡」と刻まれた 小型の石碑が建っている。 (“てくたくぶっく”については 『ふるさとめぐり』
『「てくたく」してみます?』 を参照)
旧京西小学校跡 玉川台1-5
明治12年(1879)12月, この場所に京西小学校が創立
されました。 瀬田と用賀の村境で, 両方の村の子ども達
が通うのに便利だと, みんなが相談して決めました。
ちなみに,この発祥碑の表面に書かれた「京西學校」の文字は伊藤博文の筆である。 | ||||||
撮影日
| 2008年4月 | ||||||
碑文
| 京西学校発祥之地 昭和五十八年十一月吉日建立 瀬田小学校開校三十周年を祝う会 (表面) 京西學校 明治己卯十二月 伊藤博文書 | ||||||
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