長岡国漢学校発祥之地 [ながおかこっかんがっこうはっしょうのち] 発祥の地コレクションは、新サイト https://840.gnpp.jp に移転しました。 | |||||
場所 |
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コメント |
JR上越新幹線の長岡駅から南東に500m。
曹洞宗の寺 昌福寺の本堂近くに「長岡国漢学校発祥之地」と刻まれた大きな石碑が建っている。
長岡は 江戸時代には 新潟県中越北部から下越西部にまたがる藩であった。
幕末の戊辰戦争に際しては 旧幕府側につき 新政府軍と激戦となり, 多くの戦死者を出して 降伏した。
国漢学校は 1869(明治2)年に 昌福寺の本堂を借りて開校し,
翌年には 近くに新校舎を建てて移転した。(現在の 大和デパート付近)
米百俵之碑
国漢学校跡地
小林虎三郎 文政十一年(一八二八)に生まれ,晩年 病翁と改めた。
佐久間象山に学び,吉田松陰と象門の 二虎と称された。
戊辰戦争後,敗残のすえ,焦土と 化した長岡の大参事に抜てきされた。
教育第一主義を 唱え,支藩三根山藩の教米百俵を赤貧にあえぐ藩士の 強要を退け,
国漢学校設立の資にあて,長岡復興の礎を つくった
この事跡は山本有三著「米百俵」によって 広く世に伝えられた。 | ||||
撮影日
| 2007年10月 (写真提供 K.T.さん) | ||||
碑文[1]
| 長岡国漢学校発祥之地 明治二年五月一日 当昌福寺開校
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