発祥の地bannar
長津田小学校発祥の地
 [ながつだしょうがっこうはっしょうのち] 


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場所
神奈川県横浜市緑区長津田町
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東急田園都市線・すずかけ台駅の東 800m。
東京工業大学・すずかけ台キャンパスの“岡部門”から 250mほど東に, バス道路に面して 西側の斜面の中腹に「南無虚空蔵菩薩」と刻まれた碑がある。 そこから30段ほどの石段を上ったところに プレハブ風のお堂に並んで 「種月山耕雲庵再建碑」 という石碑が建っている。
この石碑に 「長津田小学校発祥の地」であると書かれている。

横浜市立長津田小学校は, 1873(明治6)年に この地にあった寺子屋「紅林塾」を 「小学壮行学舎」と改めたことに始まり, 1875(明治8)年に「長津田学校」となる。
その後 「長津田村立小学校長津田学校」, 「尋常第二田奈小学校」, 「横浜市田奈尋常高等小学校第一分教場」, 「横浜市長津田国民学校」などと名前を変え, 1947(昭和22)年 「横浜市立長津田小学校」となった。
1956(昭和31)年 長津田駅に近い現在地(長津田町2330)に移転している。

撮影日
2007年1月 (一部写真提供 T.K.さん)
碑文
種月山耕雲庵再建碑

耕雲堂の由来は種月耕雲道心念持仏の虚空蔵菩薩を奉じ桐ヶ谷後背に山居した。 人呼んで耕雲谷戸と称し地自ら谷に水あり山に柴あり聖胎を養ふと云へども当時未開にして 野猪群をなしたと云ふ。由って地を岡部谷戸に改め自ら一宇を開基大林寺八世久庵圓良和尚と 請して開山す 時元禄元年頃なり
その後此処にて 聖胎長艱せし十五世萬眼和尚金光明最勝王経を 書写し厨子に収めて今尚存す 次に緜山蜜紹上座仏音是久沙弥等住した 移転後のお堂は山頂近くに五間四面の建物があったが風水害による崖崩れにより 現在の位置まで下り, 大正十一年春岡部農園団が改築七坪のクラブ兼用で現在に至った
昭和二十五年四月境内地払下げにより大林寺飛地境内地となる 当時境内地四反三畝十二歩 山林一反三畝二十六歩也 此の御堂により関根範十郎信友先生が安政四年紅林塾を開き塾生を養育した寺子屋なり。 現在長津田小学校の発祥の地也 此の度お堂を再建するにあたって 岡部及辻その他の地区の信徒の篤い帰依によりブロックコンクリート建て九坪 昭和四十八年末に竣工した。
昭和四十九年一月十三日虚空蔵菩薩の縁日に慶祝落慶するに当り 多数の信徒により山号碑献香及 仏具等に奉納金が寄せられた。
    維時  昭和四十九年正月
          大林寺二十六世 大雲実英記


 
種月山耕雲庵再建碑 種月山耕雲庵
種月山耕雲庵再建碑
種月山耕雲庵

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