北海道命名之地 [ほっかいどうめいめいのち] 場所
|
コメント
JR宗谷本線の筬島駅から東に1.3km。
筬島駅から南の筬島大橋を越えて,国道40号(名寄国道)に入り,天塩川に沿って西方向に進むと,天塩川が大きく蛇行して北に突出した場所がある。国道からそれて未舗装の道を北に入っていくと,一番奥に 古くてかなり風化の進んだ木製の「北海道命名之地」碑と「北海道命名ゆかりの地」と書かれた説明板が並んで建っている。
松浦武四郎という人物については,北海道以外ではあまり知名度は高くなく,たとえば 現在の北海道の地名の多くは,松浦がアイヌ語の地名を基に命名したことは ほとんど知られていない。
明治維新後は 「蝦夷地開拓御用掛」に取り立てられ,箱館戦争後 蝦夷地の開発が本格化するに際して「開拓判官」となり,「蝦夷地」に代わる新しい名称として 「北加伊道」などの案を政府に提出し,この案をもとに政府は「北海道」に決定した(詳しくは 下記碑文の欄を参照)。
更にこの他にも アイヌ語の地名をもとに,国名や郡名を選定していった。 発祥の地コレクションは、新サイト http://840.gnpp.jp に移行作業中です 撮影日
2010年8月 (写真提供 OLDMANさん) 碑文
北海道命名之地 安政四年七月 松浦武四郎 (説明板) 北海道命名ゆかりの地 北海道の名付け親・探検家松浦武四郎 〜北海道命名の発想〜 安政四年武四郎はアイヌの人達と共に天塩川を探査し『天塩日誌』として書き残しました。 天塩川探査の帰途中,オニサッペ(筬島の鬼刺川付近)で,故事に詳しいアイヌのアエトモ長老から話を聞きました。 アイヌの通称である「カイナ」の『カイ』とは,この国に生まれた者ということで『ナ』とは,貴人をさす尊敬の言葉である。 これを聞いた武四郎は,「アイヌの人々は,自らその国を呼ぶとき,加伊(かい)と言い,アイヌは ひげが長いところから,蝦夷(かい)の字を用いたが,もともと蝦夷地の蝦夷(えぞ=かい)とは加伊 (かい)のことである。」と考えました。 明治二年七月十七日,武四郎は道名に関する意見書を提出。候補に,日高見道(ひたかみどう),北加伊道(ほくかいどう)・海北道・海島道,東北道・千島道の六道を提示,この中から「北加伊道」が採用され,「加伊」の字に北方の海に通じる「海」を宛て,「北海道」名が誕生しました。 現在の「北海道」の名は,まさにこの地でアエトモ長老と出会ったことから生まれたのです。 天塩川は,平成16年に北海道遺産として選定されました。 北海道遺産
|
移行しました http://840.gnpp.jp/hokkaido-meimei/
(C)発祥の地コレクション All rights reserved.
無断転載禁止