室蘭地名発祥の地 [むろらんちめいはっしょうのち] 発祥の地コレクションは、新サイト https://840.gnpp.jp に移転しました。 | |||||||||
場所 |
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コメント |
JR室蘭本線の崎守駅から南西に150m。崎守地域振興センターの前に「ムロラン(室蘭)地名発祥の地」と書かれた説明板がある。
さらにそこから100mほど西の坂道の下には「ムロラン地名発祥の坂」という標識も建っている。
室蘭市は噴火湾(内浦湾)の北の入口に岬状に突き出した地形で 天然の良港をなし,古くから海運の拠点として発展した。特に 石炭輸送を目的として,岩見沢から室蘭までのの鉄道敷設(明治25年)などで,本州と北海道を結ぶ海陸交通の要衝として発展し,1900(明治33)年に室蘭町,1992(大正11)年に室蘭市となった。
室蘭地方は,文禄時代(秀吉の時代)に松前藩領となり,慶長年間(江戸開府前後)には絵鞆岬(室蘭市役所のある絵鞆半島の西端)に絵鞆場所が開かれ,和人とアイヌの人たちが商取引をする交易所(運上屋)が建てられた。
「室蘭」という地名の語源はアイヌ語の「モ・ルエラニ」(小さな下り坂)から転訛して「モロラン」となったもので,崎守町の仙海寺という寺の前の坂をさす地名であった。
室蘭市内には あちこちに「室蘭発祥の地」と書かれた看板が見られる。 地名由来板
絵鞆(えとも)岬 室蘭発祥の地。絵鞆とはアイヌ語のエンルムから転じたもので「突き出ている頭」「岬」というのが語源。 絵鞆は江戸時代から明治維新まで室蘭地方の地名であった。地図の上では,蝦夷の古地図として知られる正保日本図(1648年頃)にエントモと書かれている。 慶長年間の初め松前藩の直轄所(漁業基地)として開かれ,交易所で通行人の宿泊もできた運上屋がおかれた所であり,夏季にはアイヌと交易するため,松前藩の弁財船が絵鞆の澗に出入りした。 絵鞆岬と東の丘上にあったチヤシ(砦)遺跡や周辺の貝塚からは,縄文早期(約九千年〜六千年前)からアイヌ時代(約八百年〜百年前)に至る貴重な出土品が数多くみられた。 (2) 絵鞆町1-11(2-2)交差点 祝 絵鞆町会創立85周年
室蘭発祥の地 この地には約三百七十年前すでに松前藩によって「場所」即ち,交易商場(あきないば)が設置されていた。 ここから黒百合伝説の島=大黒島は目の前でこの半島の突端に近い高台には先住民族慰霊碑がある。 北海道探検で知られる松浦武四郎によっても 月よめば まだ安芸馴れ度えともの海 この山かげは氷ゐにけり なる一音が残されていて,この町の歴史の古さを明示してくれている。 平成十八年十月二十二日 絵鞆町会 | ||||||||
撮影日
| 2012年9月 (写真提供 T.H.さん) | ||||||||
碑文
| ムロラン(室蘭)地名発祥の地 ムロラン(室蘭)は,もともとアイヌ語に源を発する地名で,「モロラン」と呼ばれていた。その原名は「モルラン」であり,語源は「モ・ルエラニ」とされる。つまり,アイヌ語発音解釈から,モは「小さな」「子」,ルは「路」,エは「そこを」,ランは「下る」,イ「所」で,総じて「小さな下り路」の意味である。
「室蘭」の名付け親は,松浦武四郎(1818〜1888年)である。六回に及ぶ蝦夷地探検の際,1845年には噴火湾沿岸を調査し,さらに明治二年(1869)に明治政府の開拓判官となって「北海道」と命名,また道内の国郡名選定を行なう。
かくて,時の太政官は明治二年(1869年)に「このたび蝦夷地一円を北海道と称す」と布告,同時に胆振国室蘭郡(モロラン村など七ヶ村)も制定された。 | ||||||||
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