奥平家発祥之地 [おくだいらけはっしょうのち] 発祥の地コレクションは、新サイト https://840.gnpp.jp に移転しました。 | |||||||
場所 |
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コメント |
上信電鉄の西吉井駅から北に2.5km。
下奥平の岩平小学校付近から 北の上奥平方面に進み,奥平神社の100m程手前の細い道をを北東に入る。 斜面を上って最も奥まった所に墓地があり,奥平一族の墓の中央に 大きな発祥碑が建っている。 奥平氏は 戦国時代に三河の長篠城主として活躍した氏族だが, そのルーツはここ上野国甘楽郡奥平郷で,この地が奥平家発祥の地とされる。
鎌倉時代の西暦1200年頃,赤松氏が甘楽郡司となり 奥平氏を名乗った。
初代は奥平氏行。その後代々 吉行(2代)−継定−高定−満定−定政−定家−貞俊(8代) と続き,
貞俊の代に 奥平から三河国設楽郡作手郷へ移住,駿河の今川氏に仕えた。
城跡の入口には「奥平城跡」と書かれた 吉井町教育委員会が建てた標識が建っているが,
実際に城跡に入ってみると,たぶんここだろうと思われる場所は 鬱蒼たる竹林になっていて,
荒れ放題の 大変な場所であった。 | ||||||
撮影日
| 2008年10月 | ||||||
碑文
| 奥平家発祥之地 従二位勲三等伯爵奥平昌恭書 奥平公ハ文治年間児玉赤松氏ヨリ出タル氏行公甘楽郡司 トナリテ奥平城ヲ築キ居城トナシタルヨリ爾来第八世貞俊 公天授年間三河国作手郷ニ移ル迄ノ間吉行公継定公高定公 満定公定政公定家公七世ノ■■及一族ノ墓所ハ■■当初 ヨリ是ニ於テ地下ニ眠レル英霊ヲ供養センガタメ下奥平中奥 平上奥平ノ三区全村一国トナリテ本碑ヲ建設スルニ当リソ ノ由緒ノ存スル所以ヲ誌シ冥福ヲ祈ルモノ也 昭和十六年十月十日 右宗■薫石橋■■書 奥平史蹟保存会 | ||||||
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