釜屋の渡し跡 (大島1-18〜北砂1-3)
釜屋の渡しは, 上大島村(大島1)と八右衛門新田(北砂1)を結び,
小名木川を往復していました。名称は, この対岸に
江戸時代から続く鋳物師, 釜屋六右衛門・釜屋七右衛門の鋳
造所があたことにちなみます。写真は明治末ごろの釜屋の
ようすです。川沿いに建ち並ぶ鋳物工場と, そこで働く人びと
や製品の大釜が写っています。
明治の初めごろにはすでに, 対岸の農耕地などへ往来する
「作場渡し」に類する「弥兵衛の渡」がありました。「大島町誌」
(昭和7年刊行)によれば, 大正7(1518)年7月5日に
「営業渡船」として許可されています。利用状況は, 平均して
1日大人200人, 自転車5台,
荷車1台で, 料金は1人1銭, 小
車1銭, 自転車1銭, 荷車2銭,
牛馬1頭2銭とあります。
「城東区史稿」(昭和17年刊行)
には営業の記載があるので, それ
以後に廃止されたものと思われま
す。
平成9年3月
江東区教育委員会