呉市の警固屋地区と対岸の倉橋島を結ぶ“音戸大橋”から北におよそ100m行ったところに,「音戸渡船」という看板のある渡船場がある。
“音戸の瀬戸”は,最も狭い場所での幅が約90mと狭く,速い潮流で有名である。平安時代に,平清盛が日宋貿易の航路として開削した海峡だとされている。
1961(昭和36)年に,長さ632mのアーチ橋“音戸大橋”が,また1973(昭和48)年には“早瀬大橋”が建設されて,倉橋島・能美島・江田島は 本州側と陸路で結ばれた。
音戸大橋は歩行者の通行も可能だが,海面から23mの高さがあるにもかかわらず 歩行者用の設備がなく,アプローチが非常に長いため,現実の歩行は容易ではない。一方 渡船は,橋の下を大人70円の料金・乗船時間3分程度で渡してくれるため,現在でも 毎日200〜300人の利用者があるという。