JR石勝線の占冠駅から南東に15km。
道道847号(三岩日高線)が 国道274号(穂別国道)から分かれて沙流川オートキャンブ場に向うと,右左府橋で沙流川を渡ったところに「ドツコイの渡船場」と書かれた,自然石に金属プレートを貼りつけた石碑が建っている。
明治30年代,日露戦争の開戦で 軍部は小銃の銃床に使用するクルミ材を大量に必要としていた。岩手県出身の目曲久助氏は右左府(ウサップ)(=現在の日高町)の地に入り クルミの伐採を行った。 1905(明治38)年に日露戦争が終結するとクルミ伐採に従事していた人たちが撤退していく中。目曲氏はこの地が農業・牧畜に適していると判断して そのまま入植し,その後入植者が増加して 右左府原野は開拓されていった。
この渡船場は,1908(明治41)年に 周辺の開拓者のために私費で開設されたが,翌年に公設となり「右左府渡船場(うさっぷとせんば)(=ドスコイ渡船場)」となった。
付近には さらにいくつかの渡船場が開設されたが,その後 橋が架けられたことによって 1943(昭和18)年ごろまでに 次第に姿を消した。