渡し碑コレクション
石浜(牛浜)渡津跡  [いしはま(うしはま)としんあと] 


場所
東京都福生市大字熊川
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JR 五日市線の熊川駅の西 800m。多摩川の河川敷に作られた“多摩川中央公園”。 広大な芝生と草原の中に 3つの碑が並んでいる。 左の大きな褐色の自然石の碑には「史跡 石濱渡津跡」と書かれ, 「うしはま」と書かれた小型の石柱は 道標だろうか。 金属(?)の標柱は 教育委員会が建てた解説碑である。

「渡津(としん)」とは「渡し場」のこと。ここは 五日市街道の“牛浜の渡し”が あった。石碑には「石濱渡津跡」とあるが, 教育委員会の説明は「牛浜」となっている。 南北朝時代, 足利尊氏が新田義貞と戦った“武蔵野合戦”で 尊氏が敗退して 石浜に逃れたという言い伝えがあり, その石浜は ここ牛浜ではないかという説があり, この碑が建てられたという。
しかし これとは別に, 石浜とは 浅草方面を指すのではないかという説もあるようだ。

撮影日
2005年11月
碑文(1)
史跡
  石濱渡津跡

  石濱
勇矣新田最少郎
差原駆賊皆奔狂
四十六里成風逐
足利足蹶是此場
   明治戌寅孟冬
   桃山大沼厚作
     昭和三十七年未歳中秋建之
        福生町多摩吟社
        福生町観光協会
碑文(2)
牛浜渡津跡碑

・・・・・(文字が消えていて 前半の 2/3 が全く読めない。) ・・・・・・

 この碑は, 昭和39年に福生町多摩吟社, 福生 町観光協会及び町民有志の方々の篤志によって, 牛 浜大坂(熊川1058)に建てられたものですが, 平成2年, 多摩川中央公園の開設にともない, 牛浜 渡船場跡に近いこの地に移設しました。
    平成■年6月       福生市教育委員会

  石濱    (史跡 石碑〔碑文(1)〕の漢詩の翻訳)
勇ましいかな新田の最少郎(新田義貞)
差原(小手差原)に賊(足利尊氏軍)を駆れば皆な奔狂す
四十六里(小手差原より石浜まで)に風逐を成し
足利も足蹶(つまず)くは是れ此の場

足利尊氏は観応3年(1352)閏2月20日に武蔵国人見原(府 中市)・金井原(小金井市)で新田勢と対戦した。このとき尊氏方は苦 戦を強いられ, 石浜にのがれた。尊氏は窮地を脱して, 28日 小手差原(所沢市)・入間河原(狭山市)などで, 次々と新田勢を破 った。この一連の合戦を武蔵野合戦という。尊氏が逃れた「石浜」 の所在地については諸説があり, 市内の牛浜であるという説が古 くからある。

石浜(牛浜)渡津跡碑 多摩川中央公園
石浜(牛浜)渡津跡 碑
多摩川中央公園