菅の渡し [すげのわたし]
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場所 |
川崎市多摩区菅稲田堤2丁目
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コメント |
JR 南武線 稲田堤駅から 商店街を北に向かい, 多摩川の土手にぶつかるところに 碑がある。
数少ない 多摩川右岸の 渡し碑。
すぐ横を 京王電鉄の相模原線の鉄橋が通っている。
この鉄道が 昭和48年に開通したのを契機に, 菅の渡しは 昭和48年に廃止された。
それまで使われていた 菅の渡しの「船頭小屋」は,
現在も 川崎市の
日本民家園
に保存・展示されている。
この対岸(東京都調布市)にある 京王閣競輪場 で 競輪が開催される日には,
現在でも 臨時の渡し船が出ているというが, 残念ながら 自分の目で確認はしていない。
ここから 一番近い橋 (多摩川原橋) をまわっていくと, 約2km歩くことになるので,
近道として 競輪ファンに利用されているのだろう。
多摩川のこのあたりは 稲田堤 と呼ばれ, かつては 桜の名所だった。
花見客と 川遊びを楽しむ人で 菅の渡し は賑わったという。
(2007.3 追加)
対岸の東京都側にも 説明板がある。
川崎市側の「菅の渡し」碑の ちょうど向かい合う位置(調布市上布田町)に「多摩川白衣観音」
がある。その後ろ側に 調布市教育委員会が設置した大きな説明板が建っている。
多摩川の渡し
多摩川は, 昔からたびたび氾濫しては家や田畑を流出させ
川の流を変えてしまうことがあった。そのため橋をかける
ことができず, 渡し船に頼っていたので, 多摩川には上流か
ら下流にいたるまで各所に渡し場があった。
この辺りの渡しは, 対岸の矢野口・菅と調布を結ぶ重要な
交通機関として, 江戸時代から永い間続いてきた。近代に
なっても, 調布に農地を持つ対岸の人たちの農作業のための往来,
農産物の運送, 旧東京市内ヘの肥引き, その他年中行事等に,
渡しは人びとの生活に欠かせないものであった。
この辺りには, いくつかの渡し場があったが, その渡しは
昔から矢野口村・菅村の両村で運営されていた。多摩川の流
れの移り変わりとともに, その場所もたびたび移動した。
渡し場の名称もその時々によって変わり, その中でも代表
的なものに「上石原の渡し」「矢野口の渡し」「菅の渡し」「中野
島の渡し」があった。
これらの渡しも, 昭和10年, 現在の多摩川原橋が完成し,
また昭和46年には京王電鉄の相模原線が開通することに
よって順次姿を消して行った。この地は, 最後の渡しとなっ
た「菅の渡し」のあったところである。
その「菅の渡し」も昭和48年をもって廃止された。
(後略)
平成4年10月1日
調布市教育委員会
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撮影日
| 2002年6月 2006年5月 (写真提供 H.O.さん) |
碑文
| 菅渡船場跡
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