「葵の紋」発祥の由来 [あおいのもん はっしょうのゆらい] 場所
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JR東海道線の西小坂井駅から 西に2km弱。東海道新幹線を越えたところに“太町牧場”“花ヶ池牧場”があり, その向かい側に「伊奈城跡」がある。
ここに「葵の紋発祥の由来」という石碑と, 「葵の紋発祥ゆかりの地」という説明パネルがある。 上の図は, 下の写真(2)の一部を拡大・再配置したもので, 本多家の「立葵の紋」と徳川家の「三つ葉葵の紋」を示している。歴代将軍の紋所も, 水戸黄門が「この紋所が目に入らぬか!」と突き出した印籠の紋所も,当然 下の「三つ葉葵」である。
葵の紋の発祥ゆかりの地として “花ケ池”の地名も出てくるが, この地から 200mほど北東, 新幹線の反対側に「花ヶ池公園」がある。 発祥の地コレクションは、新サイト http://840.gnpp.jp に移行作業中です 撮影日
2005年8月 (写真提供 T.K.さん) 碑文(1)
「葵の紋」発祥の由来 徳川家康の祖父, 松平清康は享禄2年 (1529)吉田城を攻めた。 時の伊奈城主本多正忠は, 松平軍に従っ て戦い吉田城を落とし, 清康を伊奈城 に迎え祝宴を開いた。
此時御肴をすゝむとて, 池なる水葵の葉
正忠献盤殺籍用葵三葉岡崎公租而悦曰 碑文(2)
「葵の紋」発祥ゆかりの地 伊奈本多家の「立葵」と徳川家の「三つ葉葵」
伊奈本多家の家紋は「立葵の紋」で, これは「フタバアオイ=二葉葵」という植物を
紋章にしたものである。
立葵は正忠の家の門なり, 此度の戦に, 正忠最初に御方に参て, 勝軍しつ, 吉例也, 賜らんと仰ありて, これより御家紋とはなされたり。この記述を裏付けるように, 岡崎市の随念寺にのこされている清康の肖像画 (岡崎市指定文化財)には, 「立葵の紋」が描かれている。 このように, 本多家から松平家の家紋となった「立葵の紋」が, 徳川家康の代に 「三つ葉葵の紋」となったと伝えられている。これが, 小坂井町が「葵の紋」 発祥ゆかりの地といわれる由縁である。 平成9年3月30日 小坂井町教育委員会 伊奈史跡保存会
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