発祥の地bannar
甲斐源氏発祥の地
 [かいげんじはっしょうのち] 


場所[1]
山梨県北杜市須玉町
コメント
JR中央本線・日野春駅の東 2.5km。中央高速道路の須玉ICの北3kmくらいのところの 左の山に 写真[1]の「甲斐源氏発祥の地」の看板がある。
この山は かつて「若神子城」があった古蹟で, 甲斐源氏の始祖である 新羅三郎義光によって 築かれたと言われている。現在は 山に登ると“ふるさと公園”があり, 碑文[1]に示す説明板が立っている。
場所[2]
山梨県北杜市長坂町
コメント
JR中央本線・長坂駅の東 1.2km。中央高速の長坂ICから 県道を西に1Km少し行ったところで, 県道から細い道に入るところに 写真[3]の石柱が立っており, ここから50m程入ったところに さびれた神社 (八幡大神社)があり, 社殿の隣に写真[2]の石碑が建っている。碑文[2]

甲斐源氏とは 甲斐の国に土着した清和源氏の 河内源氏系一門と そこから派生した諸家をいう。
河内源氏の3代目 八幡太郎義家の弟 新羅三郎義光が 甲斐源氏の始祖とされ, その子 源義清(武田冠者義清)が 常陸国に土着して武田氏となるが, のちに甲斐に移って土着した。
武田氏からは 板垣氏・甘利氏など多くの一族が出ている。

(関連項目) 秋山家発祥の地
撮影日
2006年6月 (写真提供 T.K.さん)
碑文[1]
甲斐源氏発祥の地

    ふるさと公園
 この農村公園は,甲斐源氏(武田氏)発祥の地といわれる,ここ若神子 古城に往時の面影をとどめながらつくられたものです。
 戦国時代には,ここに館を構え,峡北の守りを固めたといわれ,城跡に は土塁や郭また大手門を想い起こさせる巨石が残っています。
 この公園は,先人達が活躍した古城の復元を図るばかりでなく「伝説と 現代の出会いの場」として,またひろく「町民のいこいの場」として作ら れたものです。
    (以下略)

碑文[2]
八幡大神社と甲斐源氏発生の記

  祭神顕徳   山梨県神社庁長松尾馨謹書

甲斐源氏の勃興は今を距る九百余年前の長元二年源頼信が甲斐守となるに始 まる。当時甲斐には柏前真衣穂坂の官牧があり頼信その子頼義はこれの復興 につとめ更に隣接する広大な八ヶ岳山麓の原野に私牧をもとめ軍馬を飼育し 荘園を建置し大いに民生を厚くした。古伝によればその開発の中心地に源氏 の守護神である誉田別命を京都の岩清水より勧請し頼義の子義光は広大な神 領と壮大な社殿を寄進し大八幡宮(おおはったのみや)と尊称した。即ち当 八幡大神社であり甲斐の八幡信仰の発祥であって大八幡の荘名大八田の村名 はこれから起る。  逸見郷は大八幡荘を中心に開発され義清を経て清光が 逸見山の要害に谷戸城を築くに及んで甲斐源氏の基礎は確立され子孫各地に 分派繁栄し甲斐はその一族の支配するところとなり八幡宮も亦各地に勧請さ れ当社は総社と仰がれるに至った。古祠は六・七丁東にあり総社にふさわしい 壮麗な社殿であったが水害によって流失し現在地に移築された。 旧祠■に 日本武尊御東征の副将軍大伴武日命を祀る嗷神また西方に命の妃大炊姫を祀 る弁天社がある。  茲に氏子相謀りその由来を碑に刻し永く後世に伝える。 ものである。                  宮司 堺川宣正撰
    昭和四十五年十月一日


 
[1]甲斐源氏発祥の地(須玉)
 [1]甲斐源氏発祥の地(須玉)

[2]甲斐源氏発生の地碑 [3]甲斐源氏発生の地
[2]甲斐源氏発生の記碑
[3]甲斐源氏発生の地碑