【東照宮】へのコメント
[2001-01-23]
『東照宮』にいただいたコメントの一部をご紹介します。
【 Uさんから 】
このように解説していただけると,地理も歴史も,嫌いではなくなったと思います.
特に今回は,「葵三代」で予備知識があったので,よく理解できました.
それにしても徳川家の力のすごさを再認識しました.
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【 Yさんから 】
東照宮は日本全国に沢山ありそうだな とは思って
いましたが500を超えるとは知りませんでした。
そして私が行ったことがあるのは日光だけ。
それも相当に昔のことで 殆ど記憶にありません。
>ちょうど昨年は, NHK が『葵三代』というドラマをやっていたが,
>あのタイトルで映される 陽明門のすばらしい映像が印象的だった。
私も 毎週,見ていましたがタイトルの最後の部分 なかなかの
ものでしたね。それに比べると 今年の「北条時宗」のCGは
・・・・・・。
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【 Oさんから 】
私も、葵三代のタイトルバックに使われた雪の陽明門はとてもきれい
だと思いました。私は、日光の東照宮は一度しか行ってませんが、結構記憶に
残っています。しかし、こんなに沢山東照宮があるのは知りませんでした。
いつも、ここで日本史の勉強させて貰っているような気がします。
また、おまえら不勉強じゃな、というようなのをお願い致します。
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【 Oさんから 】
東照宮が国内にそんなに多くあるとは全く知りませんでした。
家康の威光がそんなに大きかったのですかね。
昨秋に日光輪王寺の家光廟を拝観してきましたが、ツアーの中に東照宮が
入っていなかったので日暮の門を見逃しました。
あらためて近いうちに行ってきたいと思っています。
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陽明門は 時間をかけてゆっくり見ていると なかなかいい建物です。
一日見ていても飽きないから「日暮の門」というんだそうですが。
ただ どう考えても 頭デッカチな バランスの悪い建物です。
地震が来たら すぐにひっくり返ってしまいそう。
ゴテゴテと飾りが多過ぎるので, 見方によっては グロテスクでもあります。
【 Iさんから 】
東照宮が全国に500もあったなんて \(@o@)/です。
如何に権力があったかの現れでしょう。
写真で見れば何処も贅を尽くした家康の威光感じます。
あの時代だったから、出来たのでしょうね。
何時もながら、居ながらにして勉強させていただき有り難う御座いました。
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【 Sさんから 】
相変わらずの流暢な探索、解明の手筋感服します。
東照宮は今回の記事を見るまで日光に一つしかないと思っていました、
大権現にゆかりの神社・仏閣は日本中あまたあると容易に想像できるのですが、
認可制度で命名したとはさすが徳川の権勢ですね。
これからも便り楽しみにしています。
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【 Tさんから 】
東照宮が日本にこんなにあるとは知りませんでした。
知っていたのは、日光と久能山のみ。
こんな情報をどっから仕入れたかしりませんが、500箇所全て知るのに、
ホームページでもあれば、教えてください。
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全国で 500社とも 550社とも言われているようですが,
どこまでが真実か疑問も感じます。
聞きかじりの情報で 確かなところはわかりません。
その中で“全国東照宮連合会”に属している神社は
全国東照宮連合会 加盟神社 に書かれていて, 45社ほどあります。
その中で "東照宮"という名前の神社は半分ほどで, 「◯◯神社 相殿」
(あいどの, 同じ社殿に2柱以上の神を合祀すること) とか,
「境内末社」(まっしゃ, 本社に付属する小さい神社のこと)
などになっているところが多いようです。
将軍家光による 日光東照宮の"大造替"の費用は 57万両 と言われるそうで,
この金額は当時の GNP(国民総生産)の 3%近くにもなるといいます。
現代日本の GNP が 500兆円だとすると, その 3%というと 何と 15兆円という
気絶しそうに膨大な金額となります。GNPそのものが極めて小さかった時代なので
比率がそのままあてはまらないにしても,
いかに大きな金が使われたかが 想像できます。
【 Sさんから 】
今年も掲載を楽しみに致しております。
日光東照宮以外に、久能山東照宮は知っていたのですが
それ以外にも沢山あるんですね。行ったことがあるのは
日光だけですが、それでも3度行っておりますので、
写真にあったふたつの釣鐘のような宝塔はたまたま見ており、
記憶にあります。機会があれば、久能山の宝塔も見てみたいものです。
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【 Gさんから 】
今年も楽しみにしてますので宜しくお願いします。
鳳来山(豊橋から飯田線で湯谷下車徒歩1H)にも東照宮がありますが
まだ行ってません。山奥なのに立派な拝殿が写真には載っていました。
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【 Aさんから 】
今回拝見した東照宮。私は10年ほど前に1度だけ日光東照宮を訪れたことが
あります。が、当時は若さ?も手伝ってかそれとももともとの好みか「なんと
もハデハデしい金にものを言わせた建物だ!」と思ったものです。家康が祀ら
れているのに、なぜ「宮」の字が付くのか不思議に思ったことを記憶していま
す。
各地に東照宮があるのですね〜。たしか...しまなみ海道に近いところに
「耕三寺」というのがあり、そこが西の東照宮?って呼ばれていると聞いたこ
とがあるのですが、でもそれは、呼ばれているだけで、実際に名前がついてい
るわけではないんだと思います。「○×富士」みたいなもんでしょうね。
昨年の葵三代をみて、もう一度日光東照宮を訪ねて見たくなりました。きっと
10年まえはまだまだ子供だったので、陳腐な記憶しか残っていないような気
がするのですが、いまならもう少しまともな感動を覚えるのかもしれませんも
のね。
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鳳来山東照宮というのは 山の中でずいぶん不便な所にあるようですね。
ここには 「家康の母親“お大の方”が鳳来寺に祈願して徳川家康が生まれた」
という言い伝えがあり, それを聞いた家光が 創建した神社です。
家光に直結する東照宮は どこも立派のようです。
耕三寺 のことは まだ関西に住んでいるころに聞いていました。
ちょうど しまなみ海道(広島県〜愛媛県の橋)が開通した時で,
一度自転車で瀬戸内海を渡ってみようと思っていましたが, グズグズしている間に
関東に戻ってしまい 果たせぬ夢になってしまいました。
『西日光』と呼ばれ, 日光の陽明門と寸分違わない門を作ったり,
白亜の城のような建物があるなど,
瀬戸内海の小島に どうしてこんな立派な寺があるのか と不思議に思うほど
絢爛豪華な寺だそうですね。
【 Mさんから 】
去年の11月,何十年か振りに日光の紅葉狩りに出掛けました.東照宮も目的地の
一つでしたが,世界遺産記念ナンジャラご開帳とかで,道はメチャ混み.ついと
諦めました.
華厳の滝は見物できたのですが,エレベータがどうにも似合わなかったので,
何時できたのか尋ねたら,30年とか40年前だと言ってました.以前,来た時に
エレベータに乗った記憶はなかったので,最初は,徒歩で階段を降りようとしま
したが,途中で行き止まり.エレベータを利用しないと下には行けないのです.
ほんじゃ,30〜40年前もエレベータに乗っていたのか…と変に納得しました.
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【 Nさんから 】
“東照宮”楽しく拝見しました。日本建築は本当に美しいですね。
時々思うのですが、こういう技術を現代の我々が住まう家屋に生かして
何とか伝統美を守れないのでしょうか。その為には、高級な宮大工さんの
技術を大衆化する必要があり、国家としてやって価値のある事業だと思います。
21世紀は情報や交通のインフラが益々便利になるのでしょうが、肝心の
コンテンツが昔よりも見劣りするものにならない様にしたいですね。
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【 Sさんから 】
私も東照宮は日光ばかりかと思っていましたが、大変に啓蒙されました。
勿論ここまでお調べの小川さんですからとっくにご存知と思いますが
東照宮は徳川家への”忠誠保証”であり、各藩にとっては”安全保障の一つ”
でもあったのだろうと愚考します。
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なるほど。 単純に 家康への“追慕”などという甘い理由だけではない
ということですね。
そういう視点から見ると, たくさんの東照宮が存在するワケが
よく見えてきます。
【 Oさんから 】
「東照宮」楽しく拝読させて頂きました。
日光、上野、川越、久能山の他に、まだ幾つかの東照宮がある事は知ってい
ましたが、全国に 500を超えるとは知りませんでした。
神社なのに「宮」とはこれいかに、と若干の違和感を覚えたものですが、や
はり朝廷の認可ですか。
ところで「宮」号が許されている神社は、東照宮と天満宮だけとか。鎌倉の
大塔の宮は確か神社だと思いましたが、神として祀られているのが親王だか
ら「宮」と呼んでいるだけなのか、或いは「宮」とは称されてはいるが「宮」
号ではないのか、いろいろ想像を逞しくしています。
又、徳川の権力と財力を背景とした日光東照宮の造営は、工期 1.5年で延べ
450万人が動員されたとの事。多くの優秀な技術者、製造技術者、工芸者に
加え、多くの優秀なプロマネの存在が造営を可能にしたものと思いました。
栗田勇が日光東照宮を文化的視点から捉えています。彼は、西欧の目を踏ま
えた日本文化論の第一人者とされており、私は、会社の研修で彼から道元の
世界を紹介されました。
以下は、彼が海外に日本文化のエッセンスを紹介した「雪月花の心」の中で
の日光東照宮の紹介です。彼は、日光東照宮を、仏教建築が日本の山岳信仰
と結合した最高の結晶と位置付けています。御参考まで。
------「雪月花の心」(栗田勇) より ------
古代日本文化には、縄文的なものと弥生的なもの、荒々しいものと静か
なものという二つの要素があります。日光東照宮は大変エネルギッシュ
で、派手で縄文的な作品の代表と言えるでしょう。人工の装飾の限りを
尽くして、茶の湯の美とはまったく違って見えます。
しかもこのデコレーションには、中国のエピソードを彫刻として彫り込
んだものもありますし、オランダからの灯籠もあります。極めて国際的
な文化を取り入れています。
しかし、ドイツの建築家のブルーノ・タウトという人は、これを見て、いか
にも成金趣味で、悪趣味であると非難しました。彼はこの建物だけを自然か
ら切り離して考えたのですが、実はこの建物は標高 1,800m の山の麓に、山
を切り開いて建てられているのです。その山は男体山といい、かって神とし
て崇拝されていました。
山の中腹には中禅寺湖という湖があり、山と湖を含んだ巨大な地域自体が、
神として信仰されていたのです。東照宮は、その地域全体の中心に置かれた
もので、いわば、自然の胎内にコンセントレート(凝集)された信仰の姿を
見ることができます。仏教建築が、日本の山岳信仰と結合した最高の結晶と
いえます。
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【 Oさんから 】
日光東照宮には忘れられない思い出があります。もう10年以上前になり
ますが、アメリカの研究所の2人の研究員をある日、日光に案内した時の
ことです。
私は、東京から日帰りで行ける手頃な観光スポットとして日光東照宮を選
んだつもりですが、アメリカ人は東照宮を見てもあまり感心せず、それほど
興味もないようでした。
おぼつかない英語で、ここは400年前に日本を統一した徳川家康という
人物が神として祀られていると説明したのですが、ピンとこない様子。
一人が "Are you religious?"と問いかけてきました。 聞けば彼はユダヤ
教徒だそうで、日本人の信仰心に疑問を感じているようでした。
そこで、私はハッと思い当たりました。 ユダヤ教やキリスト教のような一
神教では、どんなに偉大であろうとも1人物が神として祀られることはあり
得ないことだと。 我々が単に観光の対象としか考えていない東照宮も、
彼らから見れば聖なる信仰の対象であるべきだ、と。
「東照大権現」の言葉の意味を説明したら、きっと彼らは目を回したでしょ
うね。
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カルチャーの違いを埋めるのは なかなか大変ですが, 宗教がからむと
相互理解は絶望的ですね。
でも, ヨーロッパにも ギリシャ神話のように 多神教的な考え方がなかった
わけではないし,
西洋でも全く理解できない話ではないようにも思います。
日光にも 楽しげに観光に来ている西洋人はたくさんいますから,
人によって ずいぶん差があるのかもしれませんね。