[2003-12-05] 「まいまいず井戸」のコメントページを追加しました |
まいまいず井戸[2003-11-27]
「まいまいず井戸」という 珍しい構造の井戸がある。 大きなすり鉢状の穴を掘り その下に 普通の井戸を掘る, という 二重構造の井戸である。
場所は 東京都と埼玉県の西部一帯, 立川〜羽村〜青梅〜狭山 あたりの 武蔵野台地と, 伊豆七島の一部(式根島・八丈島など)に限られている。
『まいまいず』とは 「まいまい」=「かたつむり」 の意味だが, 辞書を引いても この単語は出てこない。おそらく 関東地方の一部だけで使われる 方言の一種なのだろう。武蔵野台地は 表土を関東ローム層が覆い その下には砂礫層が堆積しており, 地下水脈がかなり深い。水を得るには 深い井戸を掘らなければならなかった。
技術の未熟な時代に 崩れやすい砂礫層に直接 深い井戸を掘ることは困難で, そのため, まず すり鉢状の大きな穴を 硬い地盤まで掘り下げ, そこから普通に井戸を掘る, という構造の井戸になったと思われる。かつて この種の井戸は, 武蔵野台地の各地に 見られたようで, 現在もその一部が残されていて, 東京・埼玉の史跡などに指定されている。 (式根島のものは 現在も実際に使用されているという。)
“すり鉢”の大きさは 場所によりまちまちだが, 水汲みのための道は, 羽村のような「らせん状」のほかに, 「階段式」になっているものや, キザキザの つづら折れの道などの構造も見られる。羽村のまいまいず井戸
JR青梅線・羽村駅のすぐ近く, 五ノ神社 の境内に すり鉢状の 大きな 穴が開いている。 「東京都史跡 五ノ神まいまいず井戸」と書かれた標柱が建っている。
直径15〜16メートルほどの穴の上部から らせん状に下る道を 1周すると 底に到着する。 底面は 直径5メートルほどで, 中央に 普通の井戸が垂直に掘り込まれていて, その上には 杉皮葺きの屋根が設けられている。
穴の斜面は かなり急なので, 水を汲んで運ぶには らせん状の道を作るのが 適当だったのだろう。
このらせん状の道のために, カタツムリになぞらえて「まいまいず井戸」と 呼ばれるようになった。井戸には 危険防止のために 金網が張ってあるが, 中をのぞくと かなり深い。 カメラのフラッシュで照らしてやると 底に水面が見える。 つまり この井戸は 現在も生きているようだ。
現に, この井戸は 昭和35年(1960)まで, 実際に付近の住民の共同井戸として 使用されていたとのことで 驚かされる。この構造の井戸は 弱点が一つあるように思われる。
井戸の真上には 小さな屋根がかけられているが, 大雨が降ると 周囲の雨水が井戸に どっと流れ込む可能性があることである。
私は都合2回 この地を訪れているが, 昨年8月に来た日の前夜, 多摩地方は 猛烈な豪雨だった。 その名残りだろう, 井戸の周囲には 右の写真のように 雨に流されてきたと思われるゴミが 汚く積もっていた。
実際にこの井戸を使っていた時代には, 大雨の次の日は 水が汚れて 使い物にならなかった のではないかと, 当時の苦労が思いやられる。傍に建てられた 説明板には 次のように書かれている。
東京都指定史跡
まいまいず井戸 所在地 羽村市五ノ神1丁目1番地まいまいずとは, かたつむりのことで, 井戸に向かっ て降りる通路の形がこれに似ているため名づけられたも のである。この井戸は地元伝説では 大同年間(806〜 810)に創始されたものとしているが 典拠はない。形態お よび板碑などの出土から見て, 鎌倉時代の創建と推定さ れる。さく井技術の未発達の時代に 筒状井戸の掘りにく い砂礫層地帯に井戸を設ける必要から, このような形態 をとるにいたったものである。おそらく, 隣接の熊野神 社(現在・五ノ神社)とともに村落の中心になって 継続 して使用されてきたものと思われる。
元文6年(1741)に, 当時の五ノ神村の村中の協 力で井戸普請が行われた記録があり, その後も 数回修復 されてきたが, 昭和35年 町営水道開設に伴い使用を 停止した。
地表面での直径約16メートル, 底面の直径約5メー トル, 深さ約4.3メートル, スリバチ状の窪地の中央 に 直径約1.2メートル, 深さ5.9メートルの掘り井戸 がある。地表面からは周壁を約2周して井戸に達するよ うになっている。平成8年3月8日 建設 東京都教育委員会
狭山市・七曲井
七曲井は, 埼玉県狭山市北入曽(西武新宿線の入曽駅近く) の 道路脇, 常泉寺観音堂の裏にある。穴の直径は 約20メートル, 深さは 約10メートル。 穴の底には まいまいず井戸と同様な井戸があるらしいのだが, 私が訪れた時には 水が溜まって 井桁の存在は確認できなかった。
また, 穴の底におりることはできないので 上から観察しただけだが, 説明文に書かれている「上部では階段状,中央部では曲り道, 底近くではまわり道」 という 井戸へ下りる道は,斜面が草に覆われていて ほとんど確認できなかった。
この井戸の保存状態は あまりよくなくて, 周囲の金網の一部が傾いて 内側に崩れ落ちそうになったりしている。底に水がたまっていることも含め, このままでは 井戸が埋まってしまうのではないかと 危惧される。
まいまいず井戸(東京都史跡)の 保存状態のよさと比べて, 七曲井(埼玉県史跡)の 保存の悪さが対照的であった。
平安時代にできたと推定されるほど 古く貴重なものなので, 大切に保存して 後世に残してほしいと思う。
七曲井 (ななまがりのい)
県指定文化財 史跡
所在地 狭山市大字北入曽1366 常泉寺
指定年月日 昭和24年2月22日この七曲井は, 下におりる道が, 上部では階段状をなし, 中央部 では曲り道, そして底近くではまわり道になっており, 井筒部は中 央底部にあって 人頭大の石で周囲を組んだ中に 松材で井桁が組んで あります。
このようなすり鉢状の形は, 武蔵野台地残る 数少ない漏斗状(マ イマイ井戸)の典型といえます。この井戸の起源については, 建仁2 年(1202)との説がありますが確かではなく, 平安時代中期に 開拓 と交通の便のため 武蔵国府(国司の役所)の手になる事業ではない かと推定されます。
井戸は, 数度の改修が行われ, 宝暦9年(1759)に修理されたのを 最後に 文献のうえから姿を消しました。
その後使用されなくなり, ごみや土砂が堆積していたものを 昭和45年 に復原発掘し, 現在に至っています。
井戸の周囲は 70余メートル, 直径18〜26メートルで, 地表から約10 メートルのところに井桁があります。
平成2年3月
埼玉県教育委員会
狭山市教育委員会
狭山市・堀兼の井
狭山市には もう一ヶ所, 「堀兼の井」と呼ばれる井戸がある。(狭山市堀兼 堀兼神社)直径約8メートル, 写真に見るように 深さは 1メートル余と浅い。
現在は 保存のために 周りは石柱で囲まれ, 穴の周囲は石垣のように 石が積まれている。
あまり近づけなかったため 自分の目で確認できなかったが, 資料によると この穴は8角形をしていて, 穴の中央に 井桁が組まれているという。この井戸も 大変古いもののようで, 一説によると 平安時代に「武蔵野の堀兼の井」 として名が知られており, 和歌にも詠まれていたという。
堀兼の井(ほりかねのい)
県指定文化財 旧跡
所在地 狭山市堀兼2220 堀兼神社
指定年月日 昭和36年9月1日「武蔵野の 堀兼の井もあるものを うれしく水の近づきにけり」(千載集, 藤原 俊成 1114〜1204)という歌にもあるように, 堀兼の井は 古くから書 物に現れ 非常に有名なものです。しかし, 武蔵野には, 数多くの「堀兼井」 と称されるものがあったと推定され, この堀兼神社境内にある「堀兼の井」が 古くから言われている「堀兼の井」かどうかはわかりません。しかし, 江戸時 代から 史跡として知られた場所であったことは間違いなく, 宝永戊子年(1708) の「堀兼井碑」や, 天保13年(1842)の碑も現存しています。
この井の形態や使用法は 入曽の七曲井と同様と考えられ, 昔は重要な役割 を持っていたと思われます。
藤原俊成の歌のほかに つぎのような歌もみられます。「あさからす思へはこそはほのめかせ 堀金の井のつつましき身を」 俊頼集 源俊頼 (1055〜1129)
「くみてしる人もありなん自づから 堀金の井のそこのこころを」 山家集 西行法師 (1118〜1190)
「いまやわれ浅き心をわすれみす いつ堀金の井筒なるらん」 拾玉集 慈円 (1155〜1225)平成2年3月 埼玉県教育委員会
府中市・郷土の森公園
武蔵野台地をずっと南に下って,府中市の多摩川に接する場所にある 「府中・郷土の森博物館」にも すり鉢状の井戸がある。
ここは“博物館”という名前になっているが, “フィールドミュージアム”と呼ばれるように 実体は 広大な有料公園である。この場所は, もともと多摩川の砂利採取跡の 巨大な穴があって, そこを埋め立てて造られた公園だという。
そこに 明治期の商家や農家, 郵便局や役場・学校などの 歴史的建築物を移築・展示していて, 結構 大人も楽しむことができる。この公園の中に まいまいず井戸がある。
公園のなりたちから考えて もともとこの地にあった井戸ではないと思ったが, やはり もと府中市の中心部にあったのを 復元したもの, つまり レプリカ だということだった。復元に際しては 羽村のまいまいず井戸を参考にしているので, 井戸の構造は 羽村の井戸ととほとんど同様。
府中の方が やや小型であることと, 水汲みのらせん状の道が 羽村は 右回りに下りるのに対して, ここでは 左回りに下りるのが違う程度である。
まいまいず井戸
まいまいず井戸は, 渦巻状の道を降って 水を汲む方式のものです。
「まいまい」とはカタツムリのことで, 井戸 の形がその殻に似ていることから, その名で 呼ばれています。
こうした井戸は, かって武蔵野や伊豆諸島 に多くみられましたが, その起源は明らかで はありません。
市内寿町1丁目で行われた埋蔵文化財の発 掘調査で見つかった井戸は, 平安時代のもの ですが, まいまいず井戸に似たものとも考え られています。
ここに復元した, まいまいず井戸は, この発 掘調査の記録をもとに想定復元したものです。
郷土の森博物館
〈参考〉 その他地域の[まいまいず井戸」リンク
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